死についての名言
死についての名言〜About death〜
出典:http://entrepreneur-nikki.up.n.seesaa.net/entrepreneur-nikki/image/Steve-Jobs-at-Stanford.jpg?d=a0
3つ目のお話は、死に関するお話です。
私は17歳の時、こんなような言葉を本で読みました。「毎日、これが人生最後の日と思って生きてみなさい。そうすればいつかそれが正しいとわかる日がくるだろう。」
それは強烈な印象を与える言葉でした。そしてそれから33年間私は毎朝鏡を見てこう自分に問い掛けてきました。
「もし今日が自分の人生最後の日だとしたら、今日やる予定のことを私は本当にやりたいことだろうか?」
それに対する答えが“NO”の日が何日も続くと、何かを変える必要があるなと気が付くわけです。
自分が死に直面する状況を想像することは、私がこれまで人生を左右する大きな選択を迫られた時にはいつも、決断を下す最も大きな手掛かりとなってくれました。
ほとんど全ての物事は…外からの期待の全てや、自分のプライドの全て、屈辱や挫折に対する恐怖の全て…こういったものは私たちが死に直面すれば、全て吹き飛んでいくようなものだからです。
そして後に残されるものが本当に大事なことなのです。
自分はいつか死ぬということを思うことは、自分が何か失ってしまうんじゃないかという思考の落とし穴を回避できる最善の防御策です。
みなさんに失うものは何もないのです。自分の心の赴くまま生きてはならない理由などひとつもないのです。
今から1年ほど前、私はガンと診断されました。 朝の7時半にスキャンを受け、私のすい臓にははっきりと腫瘍が映っていました。
私はその時まで、すい臓が何かも知りませんでした。
医師達は私に言いました。これはほぼ確実に治療不可能な種類のガンであり、余命、3ヶ月から6ヶ月だろうと言いました。
主治医は私に、家に戻り仕事を片付けるようアドバイスしました。これは医師の世界では「死に支度をしろ」という言葉だそうです。
それは子どもたちに今後10年の間に言っておきたいことがあれば、この数ヶ月の間に伝えておきなさい、ということです。
それはつまり自分の家族がなるべく心安らかな気持ちで対処できるようしておきなさい、ということです。
それはつまり、さよならを告げる、という意味です。
私はその診断結果を丸1日抱えて過ごしました。
そしてその日の夕方遅くに生体検査を受け、喉から内視鏡を入れ中を診てもらいました。内視鏡は胃を通って腸内に入り、そこから医師達はすい臓に針で穴を開け腫瘍の細胞を採取しました。
私は鎮静剤を投与されていたのではっきりわかりませんでしたが、その場に立ち会った妻から後に聞いた話によると、医師は顕微鏡で私の細胞を見た途端急に泣き出したそうです。
何故なら、私のそれは手術で治すことができる、すい臓癌としては極めて稀な形状の腫瘍だったからだそうです。
こうして私は手術を受け、ありがたいことに今も元気です。
これは私がこれまでで最も死に近づいた経験ということになります。
この先何十年かは、これ以上近い経験はないものと願います。
こうした経験をしたことで、以前の私にとっての有用だが純粋に頭の中の概念に過ぎない死を、今は多少の確信を持って言えます。
誰も死にたいと思っている人なんていません。天国に行きたいと願う人ですら、まさかそこに行くために死にたいとは思いません。
それにも関わらず死は誰もが到着する終着点です。かつて死から逃れられた人は誰一人としていません。それは、そうあるべきなのです。
何故なら、死は生が生んだ唯一無比の、最高の発明だからです。
それは生のチェンジエージェント、つまり、古きものが消え去り新しきものが道筋を作っていく働きのあるものだからです。今この時点で、新しきものと言ったらそれはあなたたちのことです。
しかしいつか遠くない将来、その君たちもだんだん古きものになり消え去る日が来ます。
とてもドラマチックな言い方かもしれないけれど、それが真実なのです。
あなたたちの持つ時間は限られています。自分以外の誰かの人生に自分の時間を費やす時間などありません。
他人の考え方が生んだドグマ(常識や固定概念)という罠に掛かってはいけません。
他人の雑音に自分の内なる声や心、直感を打ち消されないことです。
自分の内なる声、心、直感というのは、あなたたちが本当に望んでいる姿は何か、既に知っているのです。
だからそれ以外のことは全て、二の次で構わないのです。
私が若い頃、”The Whole Earth Catalogue(全地球カタログ)”という素晴らしい出版物があって、同世代の間ではバイブルのようなものになっていました。
それはスチュアート・ブランドという人がここからそれほど遠くないメンローパークで製作したもので、彼の詩的なタッチで仕上げられていました。
1960年代後半のもので、パソコンやデスクトップ印刷がまだない頃ですから、タイプライターとはさみ、ポラロイドカメラで全て作られていました。
それはまるでグーグルのペーパーバック版のようなもので、グーグルの35年前に登場したかのようなものでした。
それは理想的な本で、素晴らしいツールと壮大な概念が溢れ返っているような印刷物でした。
スチュアートと彼のチームはこの”The Whole Earth Catalogue”を何度か発行しましたが、一通り走り切ってしまうと最終号を出しました。それは1970年代半ばで、私はちょうど今のあなたたちと同じ年頃でした。
最終号の裏表紙には、朝早い田舎道の写真が載っていました。それは冒険の好きな人ならヒッチハイクの光景でみたことがあるだろうそんな田舎道の写真です。
写真の下には、「Stay hungry. Stay foolish.」「貪欲であれ、愚直であれ」こんな言葉があったのです。
「Stay hungry.Stay foolish.」それが彼らが最後に残した言葉でした。
それから私は常に自分自身そうありたいと願ってきました。
そして今、卒業して新たな人生を踏み出すあなたたちに、同じことを願います。
Stay hungry. Stay foolish.ご清聴ありがとうございました。
いかがでしたか。
短い人生を終えることとなるスティーブジョブズのスピーチには「残された時間を精一杯、己に素直に生きろ」という強いメッセージが感じられます。
毎日を当たり前ととらえず生きることの大切さを教えてくれます。