今回のインタビューは、iHeart Japan株式会社 代表取締役 角田健治さんに「P&Gからのベンチャーキャピタルへ転身したわけ」「起業を決意した瞬間」についてお話を伺いました。
【経歴】
京都大学大学院農学研究科修士課程修了。P&Gで製品開発を担当した後、ベンチャーキャピタル業界へ転身。約8年にわたってバイオベンチャーに対するVC投資を担当し、日本、欧州、米国などで広範に活動をした経験を持つ。再生医療や細胞治療の分野ではベルギー企業のPromethera Biosciencesで取締役を務めた。2013年、京都大学iPS細胞研究所の山下潤教授と共にiHeart Japan株式会社を設立。2015年、日本バイオベンチャー大賞にて経済産業大臣賞を受賞。

「商い」が身近な少年時代

商店街で生まれ育ったことは、起業には一番関係ある気がします。たぶん、商店街にいたから、雇われないで働いている人、自営業の人を見慣れているので、組織に属さないで働く生き方があることを具体的にイメージできることが、今につながっていると思います。

キャリアに悩む

最初、P&Gで働き始めましたが、P&Gで働き始めたときは、今から思うと自分でも本当に駄目な社会人でした。「そもそも仕事とは何なのか」「組織に所属して働くことがどういうことなのか」がろくに分かっていませんでした。
当時は理系の大学を出て、みんな研究職についていくし、自分もみんなと同じように就職活動をして、ちょっと名前のある会社に入れそうになったのでそれでいいやという、あまり深く考えてない就職活動をして入ってしまいました。
そんな状態で働き始めたので、当然いい仕事はできないわけです。自分はそれなりに能力があるつもりで生きてきたのにうまくいかないので悩みを抱えます。
 
最終的に2年半ほどで、P&Gを辞めます。辞めてからいろいろ考えました。「働くとはどういうことなのか」「株式会社とは何なのか」「資本主義とは何なのか」「お金ってなんだろう」。とことん考えました。それなりに自分の答えを、ひとつ持てました。
こうなんだろうな、と思ったところで、自分が自分らしく、自分の強みを活かして生きるにはどういう仕事をしたらいいのかを考えました。
自分の過去を振り返ったときに、私は目立ちたがり屋で、人前に立つのが好きだったのです。何かをみんなでやるには、例えば、バーベキューを想像してもらうといいですが、そういうときに場を仕切るような性格です。自分のそういった性格を考えると、経営者になればいいのではないかと思いました。

ベンチャーキャピタルを目指す

経営者ポジションに行こうと思いましたが、いざやろうと思うと、自分には会計や財務の知識もなければ、営業の経験もないし、そもそもビジネスのアイディアすらもない。色々な能力が全然足りておらず、とても経営者は務まらないのです。
自分自身の能力の低さに気付きました。それまでの人生で学業成績がよかったというのは、全然話にならなくて、社会で活躍するための能力はすごく低かったのです。この能力を身につけないと、経営者にはなれません。どうやってこの能力を身につけるのかと考え、実践に近いことをやりたいと思いました。
 
そのときに思いついたのが、ベンチャーキャピタルに行くことでした。ベンチャーキャピタルに行けば、多様なベンチャー企業の栄枯盛衰が見られます。多様な会社の栄枯盛衰を見ていれば、そのうちに経営にとって大事なことがだんだん掴めてくるのではないかと考えました。
ベンチャーキャピタルという場所にいれば、生まれたてのベンチャー企業の情報や、これから起業したい人のビジネスのアイディア、テクノロジーのシーズと接触できるので、運が良ければ、自分で会社を作ったり、出来立てのベンチャー企業に飛び込んだり、そんなチャンスもあるのではないかと考えたのです。
自分自身の能力の向上と、機会を得る、この二つを同時にやれる一石二鳥の場所なのではないかと思い、ベンチャーキャピタルに行こうとしました。

一発勝負のキャリアチェンジ

人材紹介のエージェントの人に、「ベンチャーキャピタルで働きたいので、そういう仕事を紹介してください」と言いにいったのですが、「あなたの経歴で入れるベンチャーキャピタルはありません。ベンチャーキャピタルは、どこかの業界で10年ぐらいやったような人が、その経験と能力を使って目利きをして将来性のあるベンチャー企業に投資をする仕事です。だからあなたの行くところはない」と言われました。
だけど当時の私は、どうしてもベンチャーキャピタルに行きたかったので、いろいろなエージェントを回って、同じことを言っていると、ある転職エージェントが探してきてくれました。一個だけ。「これ年齢の条件、経験年数とか、条件合ってないんですけど、ここが面接やってくれるって言ってくれているから、これ一個しかないから、これ行って、通ってきてください」と言われて紹介されました。
私は選択の余地がないので、そこしかないと思って行って、なんとかここに入りたいと思っていましたが、そしたら熱意が伝わったのか、運よく入れました。
 
入れただけでも、運が良かったのですが、入った先のベンチャーキャピタルが、とてもいいベンチャーキャピタルで、日本のベンチャーキャピタルのあり方に疑問を感じていて、アメリカでやっているような本物のベンチャーキャピタルになろう志向を持っている人たちがやっていました。
社長の方は、のちに、日本ベンチャーキャピタル協会の会長をやるようなすごく立派な方です。私はその人から、投資家としての心構えや、経営者としてどうあるべきかという薫陶を受けることができました。それは今でも宝になっていますが、そういうところに行けたのは、本当に運が良かったと思っています。

一流になるために、起業を目指す

ビジネスマンとしてのキャリアを立て直しました。P&Gのときに、鼻もちならない若造で全然駄目だったのが、ようやく本気に職業人として修業を積み始めたわけです。
ベンチャーキャピタルの仕事はそれ自体が面白かったです。元々は自分の能力の向上と機会を得るため、この二つの目的で入っていますが、やっているうちに「この仕事面白いな、この仕事続けてもいいんじゃないか」と思うくらい面白かったです。自分の性に合っていました。
8年ぐらいベンチャーキャピタルをやっていて、だんだんそこで、自分の中でまたひとつ物足りないというか、次にやりたいことが出てきました。ベンチャーキャピタルで働いていると、特にアメリカのベンチャーキャピタルを見ると、成り立ちが、元々自分で事業をやって成功した人が、ベンチャーキャピタルを作って、後輩の起業家を育成する、そんなことをやっていました。
 
そういう業界だと、ベンチャーキャピタルにいる経営幹部の人たち、パートナーと呼ばれる人たちは、みんな自分でやった経験を持っているのです。そういう経験を持っている人がベンチャー企業に投資をしています。自分はそういう経験がないのです。
ある意味、投資家として一人前の仕事をするぐらいのことはできるようになったと思いますが、でも自分は一流じゃないなと感じました。一流の投資家には全然なれていない。一流になるためには、一度起業して成功する、これがないと一流ではない。この、ある種のコンプレックスを、ベンチャーキャピタリストとして働きながらずっと持っていました。

パートナーとの出会いと、起業

このままずっと続けていくのは、それはそれで面白いけれど「このままでいいんだろうか」。そんなことを思い始めて、新しいキャリア、他の仕事もやってみるかと思いました。8年ベンチャーキャピタルをやってきたけれど、これを辞めて、何か違う仕事を探してみようか、と思い始めた頃に、ちょうど他にもいろいろな要因が、たまたま偶然同じタイミングで起こって、その中のひとつが山下先生との出会いでした。
私は、そろそろキャリアを変えようと思って、日本にいてずっと働いてきたけど、日本を出て海外で働いてみようと思いました。ベンチャーキャピタルをやりながら、いろいろアメリカやヨーロッパの同業他社とネットワークを築いていましたし、海外人脈はあったから、外国の人たちに「君のところでいい仕事ないか。いい仕事知らないか」と、「そっちのベンチャー企業にも行くから」とそんな感じで、機会を求めて、いろんな人に声を掛けました。
そしたらドイツから連絡があって、「日本にこんな面白いテクノロジーがある。ちょっと会ってみないか」と言われました。その当時、私は日本にいて、彼はドイツにいるわけです。当然ドイツにいる彼よりも、自分のほうが日本のベンチャー事情についてはよく知っている自負があったから、そんなはずないだろうと。自分が知らない良い技術が、ドイツの彼が知っているなんてことはないだろう、と思って、ちょっとその話は本気にしませんでした。
だけど、その彼が何度も言う。「これは本当にいいから、とにかく会ってみろ」と。あまりにも言うので、そんなに言うなら一度行ってみる、ということで会いに行ったのが山下先生でした。

山下先生とのアポは5時から5時半までの30分の約束で行きました。しかし、いざ話し始めたら、夜9時半まで、おっさん二人で4時間半も話し続けました。山下先生のその技術がすごいのも理由のひとつですが、山下先生の人柄、これもとても重要で、単に人柄がいいだけではなく、自分自身とそりが合う、相性の問題ですね。

初めて行って、4時間半、そうやって技術の話やベンチャー企業とは、という話で盛り上がれるのは、相性がいいんだと思います。私はそこに手ごたえを感じて、この人だったら一緒にやれるのではないかと思いました。ゆっくり考えてみて「今このチャンスを取らなかったら、10年後後悔するんじゃないか」と思いました。そして、山下先生に「やりましょう」と言いにいって、このiHeart Japanという会社が始まりました。ドイツからの話が来なかったら、私はこんなことやっていないです。

(インタビュアー:菅野雄太、撮影者:柏原陽太)

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