バージン・グループ 冒険を続ける巨大財閥
“バージン・レコード”、“バージン・アトランティック航空”、“バージン・エキスプレス”・・・
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これらは全て、30ヶ国で200以上の様々な事業を行う企業を抱えているコングロマリット、バージン・グループの一翼を担う企業です。
この大企業の創業者で会長を務めるリチャード・ブライソン氏は、かつては学習障害に苦しみ学校を退学した経験すらありました。ブライソン氏はそんな困難を見事に乗り超え、現在は宇宙事業にも進出しています。
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今回は、そんな挑戦し続ける起業家・リチャード・ブライソン氏の世界を股にかけた冒険をご紹介します。
バージン・グループの誕生と学習障害
リチャード・ブランソン氏は、1950年イギリス・サリー州に生まれました。父親は法廷弁護士、母親は元フライトアテンダントという中流家庭でした。
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彼は、幸か不幸かブライソン氏は学習障害を抱えていました。学習障害は、知的能力や理解力には異常がないのに、文字の読み書きや学習が困難になる障害です。
そんな障害のため勉学はふるわず高校を中退したブランソン氏は、“Student”という若者向けの雑誌を創刊します。Studentは、現役の学生が同世代向けに自分の考えを発信するという斬新なコンセプトで人気を集め、1966年の創刊初年度だけで約8,000ドルもの広告収入に匹敵する売上を記録しました。
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また、次に趣味で始めた中古レコードの通信販売も事業化し、1973年にはレコードレーベル“バージン・レコード”を創業します。
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バージン・レコードは、セックス・ピストルズなど伝説的な人気ミュージシャンが契約し、イギリスを代表するレコードレーベルに成長し、後々の“バージン・グループ”設立への一翼を担っていくのです。
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バージン"航空"から"航宙"へ
“バージン・グループ”の事業は多岐に渡りますが代表的なものはやはり、“バージン・アトランティック航空”と“バージン・ギャラクティック”ではないでしょうか?
1984年、バージン・アトランティック航空は創業されました。ボーイング747-200のリース機1機から始まったこの航空事業は、ロンドン-ニューヨーク間の就航を開始します。次第に規模を拡大し、今ではイギリスを代表する航空会社になっています。
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2004年にはバージン・ギャラクティックを創業し、宇宙旅行事業に参入します。2013年4月に行われた宇宙船スペース・シップ・ツーの試験打ち上げ成功はわたし達の記憶にも新しい出来事でした。
バージンの冒険は続く
リチャード・ブランソン氏率いるバージン・グループは上記の通り多岐の事業に渡ります。もはや雲の上の人物のようにも感じてしまいますが、
彼の強みは、失敗を乗り越えられたことと常に挑戦を続けられたことです。
営業不振、事業撤退・売却・・・
数々の失敗や敗北が今も輝くバージン・グループを作ってきました。普通なら挫折して諦めてしまうところですが、ブライソン氏は諦めませんでした。
冷静になぜうまく行かなかったかを分析し、改善点を見出し、また一からやり直す、そんなシンプルですが長く地味な道を経て成功を手に入れられ続けてきたのです。
また、リチャード・ブランソン氏には本当の冒険家としての精神も備わっていました。フルマラソンはもちろん、飛行機による無着陸世界一周飛行や熱気球による太平洋・大西洋横断にチャレンジしました。
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彼は、本物の冒険でも、ビジネスでも未知の挑戦を続けてきました。
人はつい自分にとって心地よいところに留まろうとする本能を持っています。しかし、これらを意識的に克服していかなければ、新たな成功は望めません。
失敗を恐れず、絶えず挑戦し続けることでブランソン氏は“この世界に違いを生み出す”彼の目標を達成し続けてきました。
いくつになっても前人未到の事業に果敢に挑戦し続けるリチャード・ブランソン氏の姿を見ると、つい自分に言い訳してしまう自分が恥ずかしくなります。くじけそうになった時、諦めそうになった時こそ、ブライソン氏の挑戦を思い出し、心を奮い立たせましょう。