BASEへのジョインまでの経緯
パソコン通信にハマった学生時代
学生時代はパソコンが好きで、高校に入った頃からパソコン通信をやっていました。だいぶ昔の話なんですが、インターネットもそんなになかった頃に、パソコン通信でネットコミュニケーションをずっとやっていました。
高校の時はいわゆる「パケシ」というてやつで、当時電話代が1分10円くらいだったのですが、夏休みにパソコン通信にハマってしまい、1ヶ月で10万円以上使ってしまって怒られました。高校の時はそこでパソコン通信を止め、大学に入ってアルバイトを始めてから、もう一回やり始めました。
大学の時は、大学に通いながら、パソコン通信の友達とも遊ぶ生活を送っていました。
ネットが普及するなど、思ってもみなかった
大学卒業後に製造業に就職したのですが、学生時代はロボットを研究する研究室にいました。
そこでは、「ロボット社会やコンピューターを今後、生活の中でどうやって使っていくのか」というのを考えていました。その時はインターネットが普及しておらず、僕の視界には入っていませんでした。そのため、今のようにネットがこんなにも普及する未来は描いていませんでした。
その当時、同世代でいうと堀江さんがちょうど大学をやめて、ビジネスを始めたタイミングでした。僕は全然そういうのを知らず、普通に就職しました。
BASEのエンジニアになるまで
大学を卒業し、製造業のFA装置の制御のエンジニアをやっていました。その際にウェブの時代がきて、僕もその製品開発の中でWebサーバーを使ったシステムを使ったときに「HTMLが全然わからない」ということに気がついて、デジタルハリウッドに通いました。
渋谷のデジタルハリウッドに行っていたのですが、その時に講師として出会った方に誘われて、ウェブサービス会社に転職しました。それから数年、受託業務と自社のプロダクト、動画のCMSを作っていました。
そうしているうちに”Web2.0”のブームが来て、「Webサービスのほうに行きたい」と思い、GMOペパボ(当時のpaperboy&co)に転職し、そこでECのサービスをやってました。
それをやっている中で、Twitterブームに乗って「モバツイ」というサービスをつくったら、すごくヒットして沢山の人たちに使っていただけるようになりました。毎日それを開発しながら、会社もマネージャーとしてやっていました。
モバツイで起業しようと思ったわけではなくて、僕の周りの経営者たちを見ていたら「1回独立してみたい」と思い、「後継者を作るので会社をやめます」と言って、実際に今ペパボで活躍している人間を後継として据えて、独立しました。
独立後にはモバツイがより成長してしまい、それを追いかけている中では、正直モバツイをそのままやり続けるのかはすごく迷っていたんです。ですが、いったんこれにコミットしてみようと思い、それを2年半位続けました。しかし、その先を考えたときに、これを収束する形で会社を譲渡し、再チャレンジしようと思いました。
また1人で想創者という会社を作って、「ShopCard.me」というiPhoneアプリを出し、それをやりながら、BASEの技術顧問になったり、その後ツイキャスをお手伝いしたりしていました。
そういったことしてる間に、最終的には「BASEのCTOになってくれ」と言われました。技術顧問をやるのは性に合っていなかったようだったので、きちんとコミットしようと思い、ツイキャスを退職してBASEのCTOにコミットしたという流れです。