今回のインタビューは、アメリエフ株式会社の代表取締役社長CEOである山口昌雄さんに「学生時代」「起業の経緯」「創業時の苦労」についてお話を伺いました。
ゲノム解析のアメリエフ・山口昌雄代表が語る成長戦略「基礎研究のノウハウを横展開して事業拡大へ」【前編】
【経歴】
1976年、東京都生まれ。99年城西大学理学部卒業。2000年理化学研究所遺伝子多型研究センター入所、パリ第6大学留学などを経て、07年京都大学医学系研究科博士後期課程修了。09年アメリエフ設立。
理科とPCが好きだった学生時代
子供の頃は理科が大好きな少年でした。物事の仕組みを知りたくて、例えば家の時計が壊れると、ドライバーで分解して中身がどうなっているのかを調べたり。直してやるぞと思って分解するのですが、大体もっと壊れて終わってしまう、というようなことを繰り返していました(笑)
父親がプログラマーで、家にコンピューターがありました。当時はパソコンではなくてマイコンというものだったのですが、それに触れてプログラミングについて学びました。それが中学生の時です。
高校になり『PC98』というパソコンを親に買ってもらい、プログラミングや作曲などをやっていました。趣味でコンピューターを触っていたというレベルです。
大学は理学部化学科で、化学の分野に進みました。物理化学、有機化学、無機化学、生物化学等、化学全般を学び、最終的に生物科学が1番面白いと思いました。
生命の不思議に魅了されて生物化学を専攻することになり、趣味ではコンピューターを相変わらず続けていましたね。
大学を卒業するとき、大学院の修士課程に進もうと考えていたのですが、ご縁がなく行くことができなくなりました。そこで1度、水商売をやってみようと思い、池袋のキャバクラで黒服として働き始めました。
水商売から理研、バイオベンチャーへ
水商売では、個人事業のオーナーがお店を4店舗持っていて、そこで接客やビジネスの基本を叩きこまれまして、非常にいい経験ができたと思います。
そこで働いたのは半年間だけだったのですが、そこでの経験が“起業”を意識するようになったきっかけです。自分で会社を立ち上げて、従業員と一緒に仕事を盛り上げていくことの楽しさを教わることができた貴重な機会でした。
仕事自体は楽しかったのですが、研究の分野で仕事をしたいと思い、理化学研究所に就職することになったのが2000年です。
2000年から技術者として研究支援をしていましたが、ある先生とご縁があり、2004年、京都大学大学院の博士課程に入学できることになりました。
先生としてはそのまま研究員として大学に残ることを期待していたと思うのですが、「自分は研究者には向いていない」と気づき、バイオベンチャーへの就職を考え、都内のバイオベンチャーに一旦就職しました。
実務と学術の両面で起業準備
バイオベンチャーに入る前から、5年間バイオベンチャーで仕事を頑張り、資金を作りながら人脈も作ろうと考えていました。また、起業準備として、グロービス経営大学院に行き、経営の基礎を学びました。
講義は論理思考やマーケティング、ファイナンス、アカウンティングといった基礎の勉強をしました。受講しているうちに「自分でやった方が面白いな」という気持ちが芽生えてきたのを実感がありましたね。
当時ちょうどリーマン・ショックがはじけたときで、所属しているバイオベンチャーも業績が傾いていました。
そこで「自分が退職して独立したほうが、お世話になったバイオベンチャーのためにもなるんじゃないか」と思い、社長に許可をいただき、2009年6月末で退職し、独立することを決めたという流れです。