今回のインタビューは、グローバル・リサーチ・アソシエイツ代表 林原靖氏に「林原の失敗から学ぶこと」について嶋内(アントレプレナーファクトリー代表)が伺いました。
【おすすめポイント】
起業志望者、管理本部長、経営者に向けたメッセージです。失敗を繰り返さないために、破綻を経験された当事者でなければ知ることのできないアドバイスをお話いただきました。
【経歴】
1947年、岡山市生まれ。父・林原一郎、母・英子の四男。
兄・紘一、明の早逝により次弟となり、長兄・健とともに林原グループの経営にあたる。
岡山大学付属中学、慶応義塾高校、慶応義塾大学商学部卒業。
1969年、林原株式会社に入社。
岡山第一工場、林原商事東京支店勤務を経て、本社経理部、総務部、システム部、広報部の各部長を兼務、1978年、取締役に就任。
1985年、株式会社林原などグループ基幹四社の専務取締役に就任。
2000年、太陽殖産代表取締役就任。兼務の本体専務として管理、生産、営業、国際、関連子会社もあわせて管掌。
2011年、会社破綻で全ての役職を辞任。
2013年4月より、(非営利)グローバル・リサーチ・アソシエイツ代表。
( blogs.yahoo.co.jp/gra_yasushi )
(0:10〜)
嶋内:
起業志望者、管理本部長、経営者に対して、林原さんが今を振り返ってどの時点で何をどうしておけばよかったのでしょうか。
林原氏:
多々反省があり、ご迷惑をお掛けして本当に申し訳なく思っています。この破綻の事例が起こってから非常に短期間で会社更生法が完結し、弁済率も異常なほどだったので、更生法の事例としては大成功だったと弁護士の先生は言われるのですが、これだけ財産があって稼いでいた会社なのであっという間に立ち直りますよと、私達は冗談でいいますが、それは今更言ってもしかたがないことで、反省はしなければいけません。
事例が起こった時にこうすればよかったというのを一つだけ申し上げると、最初に事業再生ADRという手法をやりなさいと、弁護士事務所を紹介するのでとメインバンクから言われ、私共は事業再生という大名目なので当然再生の力を貸してくれるものだと思い、契約も結んでどんどん進めていきました。しかし実際はそれを入れなければよかった。もう少し私共が知識があって冷静でいろんなことが分かっていれば、こういうことは人生で始めてのことなので、経験も何もないので、渦中になるともうわけも分からなくて、とにかく皆様方のおすすめと好意にすがることしかできなかった。実際、誰しも難しいと思います。最初に事業再生ADRを素直に受けてやったことは、大きな間違いだったと今思います。その前に、経理と銀行の部門間の話し合いができなかったのだろうか、あるいはそれができなかったとしても、きちんと悪いところを正すという条件付きで、民事再生という方法もあるわけですし、いろんな方法がその間あって、最後どうにもならなくて更生法に行くべきであったなと、それができたのではなかったのかと思います。簡単に言うと私達の無知からそういう選択を余儀なくされてしまった。
一つの教訓は、弁護士や会計士、税理士、社外役員などを急に慌てて探してももうダメだと、要するに、なにもない時から、業績が非常に快調なときから素晴らしい人格の弁護士さんを探して、日常的にお付き合いをちゃんとしておく。弁護士さんも自分の利益を考える方も当然おられますが、それは当然で、依頼者のことも考えてくれる人格の優れた、あるいは気心が知れた、長い付き合いでいい時から交流を続けて、いざとなった時に力になっていただく、半分社外、半分社内のような人とのお付き合いが非常に大事だなと。残念ながら私共の場合は弁護士さんをその時急にメインバンクから紹介されて契約してしまった。彼らは過去のことも歴史も何も分からない、ただ銀行さんからの情報できているということです。これが非常に大きな教訓で、元気で何もないうちから人柄の良い方を、保険料だと思って早い段階からお付き合いを深めておくといいのではないでしょうか。特に弁護士さん、税理士さんが大事です、と身にしみておすすめしたいと思います。残念ながら林原の場合はそうではなかった。突然になってそういう人になってしまったということが大きな問題だったというのが反省点です。
もう一つ長期的に見れば、大きな反省は、医薬品とか食品の原料の方なので、不動産などと一緒で20年30年かかり、1年2年でどうしてもペイをしません。そういう業種の中でやるということをもう少し良く考えれば、ビジネスモデルはもっと違った形があっただろうと私は思っています。兄の立場とは違いますが、どうしても長子相続で連綿と続けていくというところがあったので、これはそういう宿命であったかもしれないが、どうしてもそれを外せなくて、私が兄の立場でも外せなかったと思います。しかしそれは非常にこういうビジネススタイル、特に時間のかかる事業の場合は非常に難しい。従って同族経営にこだわったということ。もう一点は、この10年間は社内で徹底させていたのですが、スループロスペリティということをいつも言っていました。どういうことかというと、プロスペリティは繁栄とか利益という意味で、スルーはそこを通じてということです。商売をやっている中で、利益を上げる、その利益の中から投資をしなさいと。財産があるからそれを投資に振り向けるとか、受け継いだものがたくさんあるから借り入れができるから投資をするとか、基本的にビジネスとしては間違いであって、スループロスペリティの中から適切なバランスを持ちながら長期、短期投資もし、利益が減れば引っ込める、そういうことを徹底すべきであったと、この10年それをやっていましたが、最初の先行投資の時期が長かったので、そのときはスループロスペリティではなかった。最初からスループロスペリティを徹底すべきだということ、ぜひ皆様方に考えていただきたい。逆に言えば、銀行はいい時はいくらでも貸すと言ってくるが、決して乗ってはいけません。スループロスペリティの範囲でやりなさいというと、そういう話には乗らないというのも選択肢だと思います。
(8:45〜)
嶋内:
営業キャッシュフローのようなものですね。商売で稼いだ中から投資をすると。有価証券や土地など換金性の高いものを担保として、担保価値よりも少し上回った融資をしてあげると言われても、その融資を元に投資をするのではないということですね。
林原氏:
それは経営から外れると思っています。残念ながら先行投資の時期が非常に長かったのでその時はその原則から外れてたのですが、逆に言えばそれをするしかなかったとも言えると思います。
(9:30〜)
嶋内:
さきほど無知というお言葉がありましたが、規模の大小はありますが、我々会社を起こした者が何を学んでいけばよいのかについて、ご経験をふまえてお話しいただければと思います。
林原氏:
破綻した会社の経営者ですから、結果的に破綻したときの専務をやっていたので、大きなこと言える立場ではないことを分かりながらご質問にお答えさせて頂きます。
林原の失敗は、運も悪く銀行の事情もあり長い付き合いでありながらも意思疎通がうまく行かなかったり、いろんな反省はあるのですが、兄も私も含めて言えることは、大きな夢を持ちながら一生懸命善意で頑張っていた。確かに粉飾は善意とはいえないですがそれは30年前で、死ぬ思いで是正してきたとご理解いただければありがたいですが、それ以外のことについて一生懸命、こうあるべきだと思い皆様に喜んでいただけたいと思って、誠実に頑張ってきたことは今でも信じています。一番顕著なことは、実力で勝負しようということをこだわりすぎた。
どういうことかというと、自分たちの力で責任でお金を借りて、いつでも返せる範囲にとどめて、結果的には返せたが、その中で技術力を磨いて、日本の国のためにもなるし、世界の大企業にも競争で勝てるように、一生懸命真実の仕事、ビジネスと経営を本筋で勝負しようとしてきたので、その点で外国の起業と戦って勝ったりしたこともあった。見る方から言われれば、悪く言えば馬鹿だったと想いが至らなかったと。後付の話だが、金融庁の天下りを一人入れておけばメインバンクもサブバンクもこんなことできなかったはずと。岡山ですから東京にいればそのようなことができたかもしれません。政治にも距離をおいていましたし、技術開発力の実力で勝負しようとしていたので、あまりに純粋すぎるし馬鹿だよと、そういうことにも気を配ってやらないと会社を維持できないよと、かなりお叱りを受けてそうだと思う反面、こういう失敗も起こったということも含めて、それは悪いことではなかったのかなと、確かに破綻したし志半ばでダメになったのだけれども、そういうような純粋なアプローチを続けた会社で、最後10年間非常に世界的貢献をしていて、最後はダメだったのだけれども、やはりある種意義があるのかなと、砂鉄になったということも意義があるし、反映していたことも意義があるし、総合的に考えた時にもなにかある。
何か世の中の前進のためにそういう会社もまあまあ面白いこともあったと、最後ダメだったがいいところもあったと事実として伝わったときに、いいところもあったよねと、政治家頼みではなく実力を磨くことは大事かもしれない。アイロニーという言葉があるが、ギリシャの王様が最後悲劇的な末路を辿るのが伝説に伝わるが、結局は善意から出ている。部下を疑わなかったり騙されたりなど。アイロニーの意味というのは後世に繋がっていて、一種の社会の前進にもなりますから、林原の事業そのものは砂鉄に至ったけども、逆にアイロニー的なものが脳裏に残ったとすれば、皆さん方が良い点、悪い点両方学んで頂いて、そういう考えもあるなとなれば、とても意味のある破綻ではなかったかと思っているところで、そういう希望が少しでも伝わればと思っています。
嶋内:
本日はお忙しい中ありがとうございました。
(聞き手:嶋内秀之、編集者:廣石高幸)