ブイキューブが提供するビジュアルコミュニケーションとは?〜場所と距離の壁をなくすことによって解決できる問題がたくさんある

➖事業内容に教えてください

間下:基本はビジュアルコミュニケーションというものを提供している会社です。何かというと、大きく2つに分かれます。1つは、企業内。今働き方改革と、非常に言われるようになってきていますが、それを支えていくような、どこでも働ける働き方を実現するもの。テレビ会議やウェブ会議もそうですし、オンラインの研修の仕組みもそうです。

 

そういう、今までは場所にとらわれて、オフィスに来なければ働けなかった人が、在宅で勤務できるとか、テレワークできるとか、場所を選ばずに働けるようになる仕組みを提供しています。

 

もう1つは、今までは法律上、必ず会わなければいけないという法律がいろんなものにあったんですが、それが今どんどん遠隔という流れになっています。すなわち、テレビ会議越しでも面談しているのと同じ扱いをする、という法律の改正がどんどん行われてきているのです。

 

具体的にいうと、不動産の契約は、2017年10月から法律が変わっていて、前は必ず不動産屋に行って、免許を持っている人の前で話をしなければいけないという法律がありましたが、これがテレビ電話越しでOKになりました。

 

これ以外にも例えば医療の世界とか、薬の世界、もしくは金融の世界とか。様々なところで、法律が変わってきています。なぜかというと、これは地域格差とか、いろんな社会が抱える課題があり、それを国が「場所と距離の壁をなくすことによって解決できる」ことを理解し、変わり始めているということが背景にあります。

 

そういうところに対して我々は、プラットフォームとして仕組みを提供しています。

➖今後はどういった分野で規制が変わっていくのでしょうか

間下:はっきりと、どこの分野が変わると言えるわけではありませんが、例えば教育。小学校や中学校は今、「学校の授業は先生が教室にいなければいけない」というルールです。でも高校は2年ほど前、そのルールが解禁されました。小中学校も、地方で先生が足りるかというと、足りません。学校の数はある程度減りましたが、そうは言っても、先生の数が確保できないんですね。

 

そこで「先生がテレビ電話で授業を行う」ことも、これから法改正がされ、実際にできるようになると言われています。

 

もともとは、アルバイトの代わりでしかなかった

➖学生時代の創業のきっかけを教えてください

間下:もともとは、アルバイトの代わりでしかなかったです。大学に入って「アルバイトをしないと」と思った時に、普通のアルバイトをしてもつまらなさそうだったので、「何か自分でできることで、お金がもらえることはないか」と探した時に、たまたまホームページ制作の話がきました。

 

当時はHP制作がまだ一般的ではなく、プロもあまりいない状況で、私自身が作ったものは、2週間かけてHTMLとかを勉強して作りました。これに対して20万円もらえたんです。2週間で20万円といったら、学生にとっていい話で。しかも、自分がやったこと、自分が学んだことを実現したことでお金がもらえるって、嬉しいんですよね。

 

そこで「こういった(HP制作をしたい)お客さんは、他にもいるんじゃないか」って探し始めると、20万円って実はものすごく安いことに気づきました。当時のマーケット価格を知らず、プロに頼んだら200万円とられていたんです。

 

お客さんからすると、安いのにそれなりのことをやってくれるから、どんどん紹介してくれました。紹介が紹介を呼んでお客さんが増え、人が足りなくなるので、同級生を集めて始めて、だんだん組織になってきました。大きくなり「このまま会社でも何でもない状態は良くない」と思い、有限会社をつくったのが20年前の98年です。

 

インフラビジネスには企業としての透明性や信頼が必要

➖IPOを考えたきっかけはありましたか?

間下:2000年頃、いわゆるITバブルだった頃ですが、あの頃は「IPOしない」と宣言していました。なぜかというと、受託開発をやっている会社が、そもそも資金ニーズがないのにIPOする意味はないだろうと思っていましたからです。

 

IPOとは全く関係ないところで受託開発の規模を拡大しながら、とはいっても新しいサービスを作りながらやってきました。大学院1年生の終わりくらいに、いわゆる就職活動を始める頃に、「これで食っていける」という自信もあったので、就職せずにこの事業をもうちょっと大きくしていこうと思い、株式会社に切り替えたのが2001年です。

 

拡大路線ではありましたが、その時点ではまだIPOは目指していません。2003年にアメリカにオフィスを開いて、当時は携帯電話のアプリを開発していましたが、そこで日本とアメリカの間のコミュニケーションの壁にぶつかりました。出張も頻繁にはできないですし、電話でもらちがあかない。そこで、いわゆるテレビ会議の機械を買おうと思ったのですが、高すぎて買えない。

 

当時は1000万円かかったので、「買えないから何かつくってよ」と社内で作ったものが、今お客様に提供しているウェブ会議の原型となります。使っているうちに、「これはもしかしたら売れる」と感じ、マーケティングを始めたのが2004年です。

 

2004年から2006年までは受託開発をやりながら、新しくウェブ会議を広げていくという動きを始めました。やはり自社のプロダクトを持って、これを本格的に広げていこうと思うと、先行投資で資金を突っ込まないといけない。かつ、我々が提供しているのは、ある種のインフラで、止まっては困るし、なくなっては困るものです。そういう意味で、企業の安定性や透明性、安心感、信頼の担保が必要だと実感しました。

 

資金の調達ができ、レピュテーションを確保できるのがIPOということで、2006年くらいから本格的に上場を目指すために舵を切りました。

 

2011年はちょっと間違えたら潰れてもおかしくない状態だった

➖IPOを目指してから大変だったことや、もうやめようと思ったこと等はありましたか?

間下:受託開発とビジュアルコミュニケーションのものを両方やっている状態からビジュアルコミュニケーション1本に絞ったのも、単に「ビジュアルコミュニケーションが良くなってきたから、1つに集中しました」というわけではなく、実際には受託開発と両方やるのが難しくなったのが理由です。やはり、二足のわらじは、小さな組織ではなかなかできません。やりたいことはいっぱいあっても、お金や人といったリソースには限りがあります。お金と人、そういった制約の中で2つ事業を行うことの辛さがありました。

 

1本に絞るということは、既存の事業をやめるということです。当然人も辞めてしまったり、いろいろなことが起きます。そのあともIPOに向かって動いていき、2008年8月に上場準備の証券会社の審査まで1回終わっていたのですが、9月にリーマンショックが起きてしまいました。

 

実は、この2年間は比較的順調に規模も利益も拡大して、伸び始めていたのですが、リーマンショックが起きたことで、大型案件がほとんど全て止まりました。ただ、逆にお客さんが出張経費削減に非常に魅力を感じ、お客さんの数は一気に3倍になりました。

 

ただ、今まで1000万で買ってくれていたものが、月々10〜20万円になったので、短期的な売上と利益が減ってしまいました。ユーザーはすごく伸びたので、2008年と2009年の売上は横ばい、でも、コストはどんどんかけ続けているので、一気に赤字になりました。もし上場していたら大変だったんですが、していなかったので、赤字でもユーザーをどんどん開拓して伸ばしていくことはできました。

 

しかし、資金面では、当時は今ほど調達環境がよくなくて、銀行との調整や投資家との調整には非常に苦労した記憶があります。2011年あたりは、ちょっと間違えたら資金的に潰れてもおかしくない状態でした。

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