高付加価値農業のプラットフォームビジネスを始めた経緯
高付加価値農業のプラットフォームビジネスを始めた経緯
2009年に創業して一番最初に取り組んだのは「銀座でコメ作り」というプロジェクトでした。
東京にいるので野菜を売るにも仕入れをしなければならないんですが、最初は違う業種から農業に入っているので農家のネットワークが全くない状態でした。
その時に、農家が我々の方に振り向いてくれるような仕組みを考え、思い付いたのが、銀座にもともと持っていた事務所を活用して、銀座で空いている土地を探して水田を作り、本物の農業をそこで再現したら農家は多分見に来るだろうということでした。
さらに、消費者にも農業の魅力を訴えられる新しい取り組みになると思い、1年間だけ銀座に土地を無事借りれることができたので、そこに本物の水田を作り、合鴨も放して、素人だった私が見様見真似で米作りをして。
その時は設備投資のお金も少なかったので、農家にもお金を投資してもらおうということで、1100件のコメ農家に電話やFAX、DMなどを全部送り、結果的には90名のコメ農家が「面白い」と言ってくださり、実際に農場をつくってスタートしました。
そうすると農家がやはり見に来るわけです。メディアでも取り上げられましたし、投資した以上は見に行こうということで足を運んでくれました。そういった時に農家は1人では来ずに大体10人位のグループで来ました。
僕が水田で名刺を持って待っていると、ぞろぞろと農家が集まってきて。気が付けば半年間で数100枚という名刺がたまっていました。
それも全員有能で実力のある農家だったので、この方々のものを売ろうと思い、売る場所を探しました。
「交通会館」というビルの1階のイベントスペースを狙って、「これだけの名刺もあってこれだけ農家を束ねているので、野菜を売らせてください」と口説きに行きました。
そこで「交通会館マルシェ」という農家の直売所が始まったんです。それが2010年でした。
そうして農家とか自分たちの野菜を売るようになって初めてわかってきたことがありました。
それは、農業が儲かっていない人たちは田舎に閉じこもっている場合が多く、東京に定期的に来る農家や東京に販路を持っている農家は大体儲かっているということです。
そこで、「何が儲かっているんだろう」という分析をしていくと、いくつかの農産物はまだまだニーズがあるので、こういう生産をすればこのように儲かるというのが手に取るように分かるようになってきました。
”勝ち組み農家”がどんどん我々のもとに集まるような仕組みになってしまったので、それを自分たちでもやろうということで、2012年から自ら農業生産に参入しました。
「こうしたら儲かるようになる」という情報を企業にどんどん提供して、企業にも作ってもらおうということから始まったのが農業参入の一番最初のフェーズでした。
初期の頃は、栽培しているハウスをもっと合理化ができないか、栽培している面積をもっと効率よくできないか、あとはパートタイムの働き方をもっと効率化できないかといったようなことをずっとやっていました。
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