経歴
IT系企業に入社後、すぐにトップエンジニアとなり数々の表彰をうけ、24歳で独立・起業する。
30歳でセミリタイアを決断し、半年間は冬山に篭りスノーボードインストラクターとして活動しながら競技者としてもスノーボード大会を転戦。春になると下山して海外でサーフィン、スノーボードをするという生活を8年間続ける。
セミリタイア中に考案した海岸ライブカメラを使ったビジネスモデルが湘南ニュービジネスコンテストで優秀賞を受賞。
また大会に申し込む手間を楽にするためにデジエントリというイベント受付サイトを趣味で構築する。
社会復帰後、趣味で立ち上げたサイトを成長させ、協業スタイルの事業展開に方向転換。
神奈川県中小企業経営革新計画の承認を受け様々なサービスを創り出す。
現在もスノーボード強化指定選手の教育指導にあたる。
O2Oにも関わらず、ネットが使えなくても利用できる?
-事業内容について、教えていただけますか?
ITを使ったネット戦略で、リアル店舗に顧客を誘導するO2O事業をやっております。
当初はネットだけの「デジサーフ」という波情報のサイトを運営していましたが、それから「デジエントリー」というウィンタースポーツの受付申込、決済ができるサイト、そして最近は「デジQ」というバーベキューのポータルサイトも運営しています。
-昨年から開始されたコインスペースはどのような特徴があるのでしょうか?
コインスペースは100円で12分いられるという、「カフェのようでいてカフェでない」場所です。つまり、1杯いくらで場所にいるという形ではなく、時間単位で場所を借りられるお店です。
-実際にレジャーの中でも、バーベーキュー市場の推移はどうなっているんでしょうか?
そもそもバーベキューは公園でするものでした。それを都心でできるのがサービスの特徴です。都心で火を使えるところは本当になくて、バーベキューができる公園は人が殺到している状態でした。予約なしでは利用できないので、ITと非常にマッチングが良かったのです。
市場としては、レジャー白書で2,370万人のバーベキューユーザーが全国にいると言われていますが、都心におけるバーベキューユーザーはその中に含まれていません。
当社がバーベキュー事業を展開する中、ターゲットのユーザーは都心での掘り起こしなので、新たに発掘している状態です。
都心のビルの屋上や遊休地などの空いているスペースにバーベキュー器材を持って行き、時間貸しで使い放題というスタイルです。利用時間に対して課金するサービスです。
-都心でのバーベキューニーズは高まっているのですか?
そうですね。都心はコンクリートジャングルになって、屋外でバーベキューを楽しむ場所がほとんどないです。地方であれば庭やテラスがありますが、都心で暮らす人は車を持っていない人も多く、バーベキュー器材も持っていけません。
都心におけるバーベキューは非常にニーズが高まっていると考えています。
-デジキューの特徴をもう少し詳しく教えていただけますか?
そもそもバーベキューはグループで楽しむもので、1組の人数は平均10人以上です。1ヶ月前から予約を開始します。
お客様の中にはインターネットを使えない方もいますので、当社のコールセンターで予約を代理入力することにより、すべての方が使えるサービスになっています。
つまり、ネットとアナログの両方を受け入れ、予約時に食材も予約できるようにしています。予約した食材は、決済された(お金が払われた)食材だけがバーベキュー場に届きます。バーベキュー場側としては集客力や収益が上がります。
公園の場合、税金を最小限に使ってたくさんの人が訪れるようになります。もう一つのメリットは、デジキューは料金にゴミ回収費を含んでいます。河川や海などで利用すると、ゴミがなくなります。環境にもいいということです。
-コールセンターを利用されている方の割合はどの程度でしょうか?
公園の場合は半々ですね。商業施設の場合は約9割がインターネット、約10%がコールセンターですね。
-利用者も年齢層が幅広いということでしょうか?
そうですね。都心でバーベキューできるようになったことで、会社の福利厚生として家族を連れて休日に利用する会社もあります。
おじいちゃん・おばあちゃん世代から若い子達までみんなが使うようになっています。
エンジニアはフリーで働く時代
-高橋さんのキャリアについて教えていただけますか?
中学校・高校は奨学金をもらって通いました。大学へ行くために高校は進学校に入ったのですが、大学へ行くにもまた奨学金をもらわなければならなかったので、高校でだいぶ悩みました。
たまたま「サラリーマンにはならない」と言っていた友人がいて、じゃあ僕もそうしようと決めました。自由に生きていこうと決めたのです。
そこから、ミュージシャンを目指して上京し、ライブハウスを点々としていましたが、「食っていけない」と思い、20歳頃の時に「一度はちゃんとサラリーマンとして就職してみよう」と気が変わりました。
当時はソフトウェアの会社が多く、福利厚生も良かったので、ソフトウェアの会社に中途入社しました。採用試験を1位で通過して本社勤務になり、2年かけて専門学校で習う内容を3ヶ月で教えてもらい、プログラマーとしてスタートしました。
1年後に主任になり、3つのプロジェクトを任されました。2年目に差し掛かった時に、他の社員は1つのプロジェクトの納期に間に合わず、残業して終電間際まで働いているという状況に気づきました。
ところが僕の場合、その頃バブルということもあり、六本木のディスコで遊び、朝遅刻してきては定時で帰り、また六本木に向かうという生活をしていました。
それでも3つのプロジェクトは納期までに完了し、表彰されました。しかし、1つのプロジェクトが終わらなくて残業している人たちの方が残業代がついて給料が高かったのです。
会社への貢献度と比べると「おかしいんじゃないか」と思い、会社と半年程度やり取りしましたが、折り合いがつかず、退職しました。
辞めてからはフリーのエンジニアになり、富士通に派遣されました。100人部隊で開発をしていて、その中の1エンジニアとして作業しました。
この派遣社員時代の給料が正社員時代の給料の倍以上で、「正規雇用じゃないとこんな風にもらえるんだな」と気付き、「これからの時代、エンジニアはフリーで生きていくべきじゃないか」と思い、エンジニアの人材派遣会社を考えました。
まず友人を誘い、新聞の折り込みでエンジニアを探しているところに片っ端から電話すると、100%エンジニアを雇ってくれました。
それで、あんまり頑張らずにサーフィンばかりしてたのが20代です。20代後半では本格的にスノーボードにはまり、1級まで取った時に「山にこもる」ことを決めました。
仕事を一回、セミリタイヤして雪山に半年こもり、スポーツをしに世界中を飛び回る生活を8年間続けました。健康のために毎朝海まで走っていました。インターネットが普及してホームページができた時、「この海の景色をホームページにアップしよう」と考えたのです。
似たようなサイトは結構あって、その中で一番になる施策を考えました。その当時よくテレビに出ていた「アリとキリギリス」というお笑い芸人のお気に入りサイトになったこともあり、1位になって目標は達成しました。
そうすると知らない方から「今日は更新しないんですか?」とメールが来るようになりました。走って写真を撮ることが義務化されてしまい、雨でも海外へ行くときでも更新しなければならなくなってしまったのです。
そこで考えたのが定点カメラです。自動で動画を発信していれば写真は取らなくてもいいだろうと考えました。湘南ビジネスコンテストに応募したところ、優秀賞をいただき、そのお金でさらにカメラを増やしました。
それでも山にこもる生活を続けていました。ある時、日本波情報連絡会という団体ができることとなり、海の情報を配信している人たちが招集されました。
波情報を提供するコンテンツプロバイダーが集まっていて、「映像を売って欲しい」と各社から言われ、「これはビジネス」になると思いました。
そこで、有限会社から株式会社に組織変更して、社名をデジサーフへ変更しました。当時のカメラの台数は1桁でしたが、カメラの台数を増やして全国に設置し、閲覧する媒体に合わせて画像サイズなどを変更しながら納品するという形に変更しました。
カメラに異常がなければ毎月収益を上げ続け、毎月300万円程度のお金が自動で入る仕組みが完成しました。それによってさらにスノーボードにのめり込んで行きました。
人が殺到して問題があるところにビジネスチャンスは存在する
しかし、30歳後半になって選手として身体が疲れてきて、「いつまでこんな生活してるんだ」という気持ちが出て、大会をやめて山を下りました。
ある時友人に紹介されたのが、2回上場を経験している有名な方で、「会社を大きくするって面白いよ」という言葉を受け、「次の目標は会社だ」ということで会社の事業に本腰を入れようとなりました。
その頃は何がウケるのかを日々悩み、考えながら暮らしていました。ある時、「(デジエントリーというスノーボードの受付サイトをやっているなら)バーベキューの受付サイトを作れないか」という相談を受けました。
バーベキュー場は非常に予約が殺到し、電話がパンクして、また、予約状況がネットで見られないので当日バーベキュー場へお客様が来てしまい、渋滞が起こるといった悩みを聞いた時に「これだ」と思いました。
ビジネスは、多くの方が殺到して問題があるところにビジネスチャンスがあると僕は読んでいます。システムを無料で提供して、そこにビジネスモデルを作ってお互いにwin-winで利益をシェアするというスタイルで成長しているコンテンツプロバイダーを見て、「そんなソフトの売り方があったんだな」と気付きました。
-実際に従業員が増える過程で意識していることはありますか?
会社を経営するにあたってヒト・モノ・カネが大切だと言われますが、ヒトで一番苦労しました。
最初はアパートで4人程度のパートを雇いました。その時は僕のやっていたことを片手間にやってもらうだけだったので話もしやすかったのですが、アパートから雑居ビルへ移り、20人規模になった時には、従業員のレスポンスが遅かったり、できないことに対して非常にイライラしていた時期でした。
当時のスタッフに対して申し訳なかったと思いますが、結構怒っていました。それから100人規模になると中間管理職が入り、常に「どうしたら人が動いてくれるのか」について考え、苦労しました。
その中で学んだことは、人を動かすのに一番大切なことは「仕組みをつくること」です。人は周りにある整えられた環境の中で、違反をしないように動いているので、僕の目が届かなくてもみんなが基準に従って動くことができるオペレーションシステムを構築していかなければならないということです。
現在の人数は500人、今期で1,000人の組織となり、組織の隅まで見られなくなるのですが、ここで大事なのは中間管理職の能力です。
一番大切なことは、組織のトップになるような人を先に集めるべきで、ここが一番難しいです。なかなか優秀な人材は入ってくれないので、今思えば未来のビジョンをちゃんと語って、優秀なメンバーを集めるべきだったと思います。
優秀なメンバーが後から入ると、最初にいたメンバーはポジションがどんどん下に下がり、居づらくなって辞めていきます。
「優秀な中間管理職の条件とは部下を切れること」だと聞いたことがあります。成長する過程で必要なのは、何ができて何ができないのかをはっきり言ってあげることです。それに沿って脱皮をしなければいけません。
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