今回のインタビューは株式会社フーモアの芝辻幹也さんにお話を伺いました。
(インタビュアー:菅野雄太、撮影者:高田梨菜)
【経歴】
東京工業大学・同大学院卒業後、2009年アクセンチュア入社。
大規模システムのPMO、大手小売業のBPRのプロジェクトに参画。その後、ルームシェアメンバーとシェアコトを創業しグルーポン系サイトを立ち上げる。
同事業譲渡後、トライバルメディアハウスに入社しソーシャルメディアマーケティングを学ぶ。
2011年11月株式会社フーモアを創業し同社代表に就任。趣味は理論物理学(最近は専ら超紐理論)イラスト・漫画作画。密かに漫画家を目指している。
フーモアの事業内容
-フーモアの事業内容について教えていただけますか?
弊社はイラストや2Dアニメーション・ 3DCG制作のクラウドソーシングをしている会社で、 お客様からいただいた「こういうイラストを描いて欲しい」 という要望を、外部のクリエイターに依頼し、 社内で調整してお客様に納品するということを主にやっています。
所謂クラウドソーシングと言うよりはディレクションを強みに制作 進行をしており、 社内にも多くのクリエイターを抱えてグラフィック制作をしていま す。
もう一つ、新規事業としてマンガの制作をしていて、 クラウドソーシングを活用しています。
-イラストの事業において、他社と比べてどういった特徴があるのでしょうか?
社内のアートディレクターがしっかりと張り付き、お客様ごとにクオリティ管理しているところが大きく違うところだと考えています。
新しい2Dアニメーションのツールを使っているのは、他社ではやっていない、新しいことだと思います。
マンガを描き続けていた学生時代
-どのような環境で育ってこられたのか教えていただけますか?
普通の環境ですね。特段、英才教育も受けてませんし、普通に過ごしていました。小学校の頃によくマンガを描いていて、それが周りの友人に褒められていたことを覚えています。
ふとした時に、「漫画家を目指そう」と思ったのが中学生の頃、そこから本格的にマンガを作り始めました。高校へ行かずに漫画家になろうと思ったのですが、さすがにちょっと親から止められ、普通の高校に進学しました。特に面白いことがあったわけではないですね。
-大学院に進学されるまで、ずっとマンガを描いていたのでしょうか?
そうですね。高校を卒業すれば漫画家になってもいいかなと思っていたのですが、さすがに漫画家は食えないということを親から説教を受けました。
進学先として地元の愛知県の大学もありましたが、親のコントロール下に置かれるのが嫌だったので、「東京に出よう」と思いました。
東京は出版社が多いので、マンガを持ち込める環境でした。大学へ行く理由で東京に出て、マンガを出版社に持ち込むみたいな学生生活でしたね。
-大学院の後、就職された経緯を教えていただけますか?
26歳ぐらいまで学生を続けて、ギリギリまで粘ってダメだったので、マンガ以外のことは何があるんだろうと考え始めました。
大学の研究室では摩擦を研究していたので、就職先は自動車関係が濃厚だったんですが、マンガと研究は一通りやった感があり、全然違うところを見てみようと思いました。
自分にあまり知識がなく、コンサルティング会社だったらいろんな業種・業態が見られし、「良い会社があればそのまま転職しちゃえ」という気持ちでコンサルティング会社を受けて内定をいただき、入社しました。
きっかけは結婚式の似顔絵
-フーモアが立ち上がるまでの経緯を教えていただけますか?
外資系のコンサルティング企業に入社後、
その中の一人がグルーポン系の会社を始めるということで誘いを受け、起業するのも選択肢の一つだなと思って、参画しました。
コンサルティング会社で働いていたので、
そこでは会社を創るということを学びました。
グルーポンが衰退するちょっと前のタイミングで売却が決まり、事業だけ売却してそのタイミングで私はその会社を抜けました。
その後にトライバルメディアハウスという会社に入社しました。そこで半年間修行させていただき、次の道を決めようとしていた時、結婚式の新郎新婦の似顔絵を描く機会がありました。
80枚ぐらい納品したところ、新郎新婦に「似顔絵が似ているので結婚式にぜひとも来て欲しい」と言われ、結婚式に行くと席次表に似顔絵がプリントされていました。出席者が自分の書いた似顔絵を見て笑いあっているのを見て、「やっぱり自分は絵で何か事を成したいんだな」と強く思いました。
会社のビジョンにもある「クリエイティブで世界中に感動を」というのは、それがきっかけで出来上がりました。
-外資系コンサルティング会社の同期とフーモアを創業されたと伺いましたが、どういう経緯だったのでしょうか?
その同期というのは、現在MiCHiという会社を経営している中崎のことですが、彼はすごい目立っていて、みんなに「会社を起こすんじゃないかな」と言われていました。
彼と一緒にやろうという話もありましたが、私が先に起業してしまい、少し後ろめたく感じていました。その会社を辞めてベンチャー(トライバルメディアハウス)で働いていた時、彼が「そろそろ俺も起業したい!」という感じだったので、ちょうど互いにタイミングが合ったという感じですね。
-事業を決める時に問題はなかったのでしょうか?
最初は明確にこれをやるというのは決まっていなかったです。私は絵を描くので、絵のビジネスをやろうかという話をしていましたが、実はその時ブログをよく書いていて、個人で沢山仕事をいただき、受託で稼いでいました。
彼は彼で爬虫類の事業を構想していました。色々やろうとしていて、何かいいものがあればそこに舵を切るという感じでやっていました。マンガは日本の文化でもあるので、事業的にはいいんじゃないかという話をしていました。
イラストに特化したのが転機
-現在の事業が軌道に乗るまでの苦労や、軌道に乗りはじめたきっかけを教えていただけますか?
最初は受託をしていましたが、ランニングコストは出来るだけ抑えたいと思い始めました。当時は交通費を削るために自転車で移動したり、オフィスを借りずにある会社のオフィスを間借りさせていただいていました。
雨の日も雪の日も1日50kmチャリで移動するみたいなことをよくやっていました。このようにして資金をなるべく使わないようにしていました。
当時は、シェアハウスにそのまま住んでいたので、
事業が明確に定まっていなかったので、すごく工数が膨れてしまったり、得意じゃない分野の情報をキャッチアップしなければいけなかったので、モチベーションはすごく高かったのですが、精神的な不安は結構ありました。
事業が軌道に乗り始めたきっかけは、マイネットさんがゲームを始めたことです。
「スポットで終わるかな?」と思ったら継続的に話をいただけたので、「なんだろうな?」と思って蓋を開けるとソーシャルゲームでした。
毎週、ゲーム内のイベントで絵が必要で、これはビジネスになるかもと思いました。当時マンガのサービスを作ろうとしていたのですが、収益化が全然見えなかったのです。
他のコンサルティングの仕事を受けるよりはイラストに振り切ったほうが元の考えと近いだろうということで、一旦他の受託を全部断って事業をイラストに寄せたら伸び始めたという流れです。
2、3回キャッシュアウトしそうになり、親からお金を借りて入れ直すことも結構やりました。事業は軌道に乗り始めたんですけど、意外に運転資金が足りなかったりということはよくありましたね。人がしばらく採れず、1年の終わり頃で5人ぐらいいたかな?という感じです。
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