今回のインタビューは、株式会社TESSの代表取締役である鈴木堅之さんに「資金面や事業面の苦労」「今後の成長戦略」についてお話を伺いました。
TESS・鈴木堅之代表:東北大発ベンチャーが生み出した"あきらめない人の車いす「COGY」”誕生秘話【前編】はこちら
【経歴】
2008年東北大学発ベンチャー㈱TESSを創業。
まず、メンバーが4人がそろいました。
いったん大学ベンチャーでダメになったアイデアで、大手が億単位で資金をつけても全然ダメだった事業です。
大学側にも「もうこれはダメだと思ったから、あなたたちに渡した。あなたたちをいきなりにここ(大学内)に入れるのは無理だ」と言われました。
メンバーが集まっても部屋も資金もなく、やはり銀行から融資を受けるしかないということで、一生懸命事業計画を書きました。
ちょうとその頃、大学ベンチャー1,000社が急激に誕生しては消えていった時期で、ベンチャー企業の不祥事も多くて。
銀行に行くと「ああ、ベンチャーですか」と。東北大だと言っても、「大学なら研究費をもらってやればいいじゃない」と言われました。大学ベンチャーに融資した前例はなかったので。
そんな中4人で「もう終わりかな」と言っていたら、以前勤めていたベンチャーから支援してくれていた県の方が電話をくれました。
その方が商工会に行くことを勧めてくるんです。お金を貸してもらえないのに。
ですが、その声にしたがって商工会に行き、経営支援相談員に金融機関に見せたのと同じ、仲間が感動した映像を見せると感激してくださいました。
「こんなものが東北から世の中に出て、日本中・世界中に広がったら、世の中変わるんじゃないでしょうか」と言うことで、「金融機関に行きましょう」と言うんです。散々断られた金融機関に。
すると、前回並んだ窓口とは別のところから上にあがり、そこで金融機関の方に動画を見てもらうと、やはり感激してくださって。
そのときは制度がないのでベンチャーには融資できないということでしたが、年が明けると新しい制度を作るという話があるので、それに応募しないかと言ってくださいました。
そうして全国初の「挑戦支援融資制度」という、ベンチャーや新事業を支援する制度の適用を受けることになりました。
今は金額が大きいようですが、その頃は数百万円。でも私達にとっては、それが大きなきっかけになって、そのお金で足こぎ車いすの試作を作ろうと思いました。
私が営業で400件まわってダメと言われていたのは、「大きい」「重たい」というのが主な理由でした。だから、軽量化して機能性を良くして、お年寄りにも好かれるような色合いにして価格も抑えれば、多くの人に受け入れられてもらえると思っていました。
いただいたそのお金を持って「作ってくれ」と行くのですが、今度は作ってくれるところがないんですよ(笑)
自転車メーカーは「障害者が乗ってケガしたらどうするんだ」と言い、車いすメーカーは「車いすは手でこぐか電動しかないんだから、足でこぐのはありえない」と。
会社を作って、特にこの世にないものを事業としてやっていくというのは厳しいなと。やっぱり大企業がお金をかけてやるべきことなのかなと思いながらも、調べてあたっては全部断られて。
唯一パラリンピックの競技用の車いすを作るメーカーがあったのですが、そこは自社のものしか作らないことで有名なだったので、頼めないと思っていましたが、頼んでみたら引き受けてくれることになりました。
実は最初、普通に私達が頼んだら断られたんです。なので次は、誰かツテをたどろうと思って、宮城県じゅうを聞いて回っていると、実家が近所という方がいて。その方に頼んでもらったら、「近所だからいいよ」という話になったんです。
すぐにその会社に行くと怖そうな人が1人いて、その方に説明したのですが、反応がなかったんです。
それから1週間経ったあとに、そこに電話かけて確認してみると、「図面描いたよ。やる気ないんじゃないか?1週間もほったらかしで」と怒っているわけです。
全然やるともなんとも言っていただけなかったんですが、話は進んでいて(笑)図面があるなら行こうと思って、今度はみんなそろって行きました。そこで見せていただいた実物大の図面は凄くかっこよかったです。
パラリンピックの車いすは3年4年かけて作りこんでいくのですが、足こぎ車いすは2ヶ月で作れると言うんです。
そうしてその間、販売先を見つけるためにお願いをして販路を開拓していきました。
ですが、大企業や福祉用具屋、リハビリ機器屋、トレーニングマシン屋など、全部あたってみても全部ダメでした。
「そんなものあるわけないよ」「詐欺だ」とまで言われました。
資金はなんとか確保できて、作るのも超一流の職人さんがやってくれるので素晴らしいものができる。でも、買ってくれるところ・売ってくれるところがなければ事業にならないですよね。
でも、唯一、ある大手福祉用具屋の営業の方が興味を持ってくださり、本社に話を通してくださって、その会社が扱うようになりました。
そこがやるようになると、人の目にも触れてテレビにも出るんです。朝早くの5時頃に放送されたテレビを、ある有名な福祉用具屋の運転手が見ていたんですね。
その運転手さんが社長を迎えに行ったときに、足こぎ車いすの話を社長にしたそうなんです。そこで半信半疑のその社長は、映像を取り寄せて、見て、感激してすぐ電話かけて来てくださって、その会社にも取り扱っていただけるようになりました。
やはり、色々な団体があって色々な認可制度があって、できたばかりで何もないベンチャーがそこにその製品を通そうと思っても、まあ無理なんですよ。そこは大手のノウハウを使って通していただくことができたりもしました。
本当に偶然の連続でしたが、1回どん底に行くと、誰かがふっと救ってくれるんですね。
ただ、うちの特徴としては、本当にどん底に行かないとそういう人が現れないので(笑)これはもうそういうものだと、今でも思っています。
つらいときこそ誰かいるんじゃないかなと思うんです(笑)社員全員、そういう気持ちでやっています。
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