
今回のインタビューは、株式会社ナオミの駒井亨衣さんにお話をうかがいました。
(インタビュアー:菅野雄太、撮影者:須澤壮太)
経歴
1958年、兵庫県生まれ。高校卒業後、ダイキン工業に入社。3年事務職として働いた後、結婚を機に退職。
1995年、株式会社ナオミにパートとして入社。その後、先代の父親に「経営者になる」と宣言し、経営学を学ぶ。
2004年にゼロから関東支社を立ち上げ、2006年に常務取締役就任。
2010年に代表取締役に就任。
経営を行う一方で、自身の経験に基づいた講演を行っている。
おもてなしの心をモットーにお客様とともに歩む企業を目指す。
ジャパンタイムズの「アジアにおける次世代の社長100人」に2年連続で選出される。
卓上型充填機でニッチ市場を攻める
充填機という機械を作っていて、それはプリンやタレ、つゆ、ドレッシングなどを袋、カップ、ビンなどに定量に入れていく機械です。
特に食品業界でたくさん使って頂いておりまして、コンビニの食品工場や農産加工、水産加工の現場でよく使われている機械です。
手作業で大変なところを少し機械化して作業者の方が楽になって効率が上がるという、卓上型の小さな機械で、便利にお使いいただいています。
どちらかというと機械と言うよりは道具のような機械です。
使いやすさと場所を取らないということでいろんな現場で使って頂いております。
卓上型タイプでは競合というのは少なくて、非常にニッチなところでNo.1をやらせて頂いています。
高校卒業から入社までの経緯
大学に行こうと思ったのですが滑りまして、その時家の経済事情が大変だったので、私学にはとても行けない状態でした。
すぐに就職して、ダイキン工業に入りました。
お茶汲みなどの雑用ばかりで、なんでこんな仕事しなければいけないのかと思いながら、仕事をしていました。
今考えればとんでもないダメダメ社員だったなと思います。
3年間働いて社内恋愛で結婚して子供を産みました。
ナオミに入る前に少しパートに出ていましたが、その会社が事業を畳むということで辞めました。
そのタイミングで父がやり始めたナオミが忙しくなってきたので、事務のパートで来ないかと声をかけられて入社しました。
家業を継いで一番の苦労は父とのやりとり
不安はなかったです。
父親がワンマンなやり方で人を大事にしない、売上至上主義だったので、このやり方では会社は大きくならないと思っていました。
私自身も経営者としてやっていけるのではという思いがありました。
それで不安というよりもこの会社を変えたいというのが強くて、「私だったらみんなを幸せにする会社を作れるのに」という思いがふつふつと湧いてきて、ぜひやっていきたいと思っていました。
代表に変わったのが約4年半前ですが、それまで父がいましたので、いちいち色んなことを反対されて大げんかして上手くいかないことがよくありました。
父とのやりとりが一番の苦労でした。直球を投げても上手くいかないので、たくさんの変化球を使うことを覚えて進めていきました。
代表になった後は人の問題です。想いを伝えて浸透させていくことは難しいと思います。
風土を作ることの難しさを痛感しました。
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