今回のインタビューは、マイクロ波化学株式会社・代表取締役社長である吉野巌さんに「共同創業者との出会い」「資金調達の苦労」「今後の成長戦略」について伺いました。
マイクロ波化学・吉野巌代表:研究から工場の設計まで「100年以上変化のない業界を革新する」【前編】はこちら
【経歴】
三井物産(株)(化学品本部)、米国にてベンチャーやコンサルティングに従事(Reed Global LLC、Bionol Corp.)。 2007年8月、マイクロ波化学㈱設立、代表取締役就任(現任)。 1990年慶応義塾大学法学部法律学科卒、2002年UCバークレー経営学修士(MBA)、技術経営(MOT)日立フェロー。経済産業省・研究開発型ベンチャーへの投資判断に関する調査研究委員会 委員。

共同創業者との出会い

実は私自身、アメリカのビジネススクールを卒業した後にベンチャーを手伝う仕事をしていました。しかし、自分で何かをやりたいとネタを探している中、私が昔いた三井物産のベンチャーキャピタルの人に紹介してもらった、というのが塚原との最初の出会いです。今からもう10年以上前ですね。
最初から「一緒に会社をやろう」と言っていたわけではなく、私がある技術を彼に相談しに行ったとき、その技術にマイクロ波をうまく織り込むと更にいいものができるのではないかという話になりまして。そこから最終的に、会社を2人で立ち上げることになりました。
そのときは廃油からバイオディーゼルを作る事業をしようと会社を立ち上げまして、マイクロ波の技術がそこに非常に向いていそうだということが起業の決め手の1つです。
もう1つは、私自身が技術者ではないのに技術系の会社を立ち上げようと思っていたので、「誰とやるか」が非常に重要なポイントだと思っていました。
「技術を本気で事業化したい」という想いが重要で、塚原にはそれがありました。むしろこちらの方が(決め手という意味では)大きいかもしれなかったですね。

起業時の印象的なエピソード

創業期はマイクロ波を入れたリアクターを作るため、反応器にマイクロ波を入れる実験をしていたのですが、なかなか入らなかった。ラボではうまくいったのですが、サイズが大きくなるとうまくいかなかったのです。
会社としていきなり頓挫したわけですが、ある日、それが入ったという塚原から連絡を受けたときは、非常に覚えてますね。とても嬉しかったです。
あるいは、ある場所で工場を立ち上げようという話の中で、その土地が急に使えないことになってしまいました。工場を建てるという前提で会社が動いていたので、工場を建てる場所そのものがなくなったのです。
納会もキャンセルし、土地を探すところからスタートしました。約1ヶ月後に何とか土地が見つかり、その場を切り抜けることができたのも、非常に印象に残っています。

資金調達の苦労

会社の立ち上げが2007年で、2008年にリーマンショックが起きました。そういう意味では、最初の数年間というのは本当に資金が集まらなかったですし、我々のようなものづくりベンチャーはベンチャーキャピタルから出資してもらいにくい面もありますので、非常に苦労しました。今でもそういう苦労はしていますけど(笑)。
最初にベンチャーキャピタルの資金が入ったのは2011年です。東大エッジキャピタルが最初の投資家になってくれました。
投資を受けると、「こういうことをやりますよ」と約束をするわけですよね。そこをとにかく会社一丸となって実現し、当たり前のことですが、マイルストーンの達成を地道にやっていく、そういう状況です。

プラットフォーム性のある技術が評価される

1つは、基礎的なところでの技術、あるいは基盤的なプラットフォームの技術を持っている点が我々自身の売りですし、投資家に評価してもらっている部分でもあると思います。
プラットフォームの技術であるがゆえに、化学産業を見たとき、薬から燃料まで(一説には500兆円の市場があると言われる)、非常に成長余地のある技術ということです。
つまり、ある製品だけを作れるのではなく、幅広い製品を作れる、そういうプラットフォーム性のある技術であるということです。それを実現できるチームがあったことも評価されているポイントかと。
薬も作れる、プラスチックの原料も作れる、食品添加物の原料も作れる、燃料も作れる。あるいは液体でも固体でも気体でも適応できる。非常に幅広い技術です。
化学産業そのものが100年以上変わっていないということは、逆にそれを変えていくことができれば、かなり広大な市場があるのではないかと感じています。

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