神谷氏の学生起業の経緯とは?
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自分で考えさえすれば価値はどこでも生み出せる
高校時代にアルバイトをした会社の社長です。反面教師という意味です。
「こんな奴と仕事するくらいなら独立してやる」「こいつが社長をできているなら、俺にできない訳がない」という2つですかね(笑)
もう1つは、カリフォルニアに住んでいたんですけれども、周りのすごく多くの人たちが独立していたということです。窓掃除だけで2人でやっているおばちゃんがいて、そういうのを見ていると「自分で考えさえすれば価値はどこでも生み出せるんだな」と感じました。
ソースコードを読んだときに「これだ!」と思った
ちょうど起業の半年前にMosaicというソフトウェアが発表されて、そのソースコードを読んだときに「これだ!」という確信しか感じられませんでした。このソフトウェアを使って、カタログをネット上で広げればカタログが変わるということを強く感じました。
たまたまそのときに、僕が高校時代から仲が良かった子の親が帽子屋さんを営んでいたので、昔日本にあった『NICOLE CLUB』というブランドの創業者にニューヨークまで会いに行って、彼女の商品を売らせてくれと頼みに行きました。1ヶ月で資本金が消えて、すぐに商売をたたみましたけど(笑)
エンジニアリングの壁は言語と文化
翻訳とソフトエンジニアリングを組み合わせたサービスをしていました。今ではローカライゼーションと呼ばれることも多いですけれども、その頃のソフトウェアは英語を処理するようになっていて、多くのソフトウェアは日本語には対応できていませんでした。
インターネットに触れて、「このようなサービスがあるならば、時間と場所が関係なくなるな」と思って、それならば最後の壁は言語と文化だと思いました。
そこで僕が創業したのは、翻訳者とエンジニアを隣に置いて、実際のソフトウェアを翻訳するだけではなくて、使ってみるということがお客さんにとっての本当の価値になるということを確認するサービスを、1994年に創業しています。
自信がなかったから起業した
80年代から90年代の日本のバブルを見ると、「ボーナス」「社員旅行」といったものは、外から見ると素晴らしいものだった一方で、バブルが弾けると何も残らないということを考えると、最終的には自分の腕での商売しかなく、他人のハコでやるか自分のハコでやるかの違いだったので、正直そんなにメリットデメリットはないと思います。ただ、「自信があるかないか」ですよね。
よく「起業するには自信が必要だ」と言うんですけれども、逆だと思うんです。僕なんかは採用試験に受かる気がしていませんでした。「今から頑張って周りの人たちと同じように、マイクロソフトやIBMといったところに競争しにいって、勝てるのかな?」という不安しかなくて、結果として起業する選択をしました。
そのように、起業するというのは1つの選択肢でしかないので、働くということに関して言うと変わらないんじゃないかということを、起業家として20年やってきて感じていることです。
失敗から学べる人と働きたい
「自分のケツは自分で拭くヤツ」ですかね。
仕事ってやっぱり出す結果次第なんですけど、失敗したからと言って結果が出ないというわけではなくて、失敗から何を学ぶか、どうやったら同じことを繰り返さないかということが重要です。別にプログラミングができるとかいうより、できないことをどのようにしたらできるようになるのかを考える人たちと仕事をしたいですね。
成長は2種類あると思っていて、例えば、100m走を速く走るために何百回も走ることも1つの成長だし、100m走は無理だから図書館に行くというのも1つの成長だと思います。
僕はどちらかというと後者の、自分の得意苦手を断捨離して、辿り着きたいところから逆算して試行錯誤しながら前に進んで行くという人が好きです。すごく1つのことに長けているというよりは、何が何でも結果に辿り着きたいという人たちと仕事をしたいです。
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