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Facebook初代CEO、ショーン・パーカー
今ではマーク・ザッカーバーグ氏で有名なFacebook。
その初代CEOショーン・パーカー氏については知らない人も多いのではないでしょうか?
映画「ソーシャル・ネットワーク」ではマーク・ザッカーバーグ氏を導くメンターとして描かれていた彼。
彼はなぜ、FacebookのCEOの退任に追い込まれてしまったのでしょうか。順を追って見ていきたいと思います。
ショーン・パーカー氏の経歴
出典:www.bizjournals.com
今年36歳になるショーン・パーカー氏は、高名な海洋学者を父親に持ち、7歳の時に父親からプログラミングの手ほどきを受けて以来、コンピューターに魅せられてきました。
好奇心が旺盛で野心的でもある彼は、学生時代から転売やウェブデザイン・ショップ、セキュリティー会社を設立してきたといいます。
しかし、天才肌の人間がしばしばそうであるようにショーン・パーカー氏も型破りな性格でした。16歳の時にはクラッキング行為でFBIに逮捕されたこともあるようです。
そんな彼は高校卒業後は進学せずに、アントレプレナーとしての活動を本格化させていきます。
ショーン・パーカー氏の人柄は?
出典:www.salon.com
シリアルアントレプレナー(連続起業家)としての活躍は、ショーン・パーカー氏の「切れ者」としての性格所以でもあります。
プログラミングにも長けた抜群の知性、時代を読む優れたアイデアを持っているショーン・パーカー氏ですが、その性格はクラブ遊びや派手な行為が大好きで享楽的、高踏的です。
個性的な人物が多く集うシリコンバレーでもしばしば問題児扱いされるほどの変わり者。
彼を熱狂的に崇拝する人物もいれば、嫌悪する人物もいる、そんな諸刃の剣の頭脳と性格を併せ持つ彼はまさしく“シリアルアントレプレナー”型の人物なのです。
ショーンパーカーが乗り越えた3つの失敗
ショーン・パーカー氏はシリアルアントレプレナー(連続起業家)としてこれまで数々のチャレンジを行っていますが、同時に数々の失敗も経験しています。
出典:u-note.me
最初に設立した「Napster」は、音楽ファイルの共有の先駆けとも言えるサービスを提供していました。
一大ブームを巻き起こしましたが、音楽を著作権無視で共有させてしまうという違法性を改善することができず、当時まだ精力的だった音楽業界から裁判を起こされて敗訴。このサービスは消滅してしまいます。
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次にチャレンジした、アドレスブックを共有できるSNS「Plaxo」でも、大手ベンチャーキャピタル・セコイアキャピタルとの権力闘争に敗れ、共同創設者であるショーン・パーカー氏が追い出されることに。
出典:www.facebook.com
その後、立ち上がったばかりのFacebookに興味を持ち、Facebook株の約7%を取得して初代CEOに就任。
Facebookが拡大するにつれ、ショーン・パーカー氏の派手で自由な生活スタイルは“マネジメントするものに相応しくない”と批判され、麻薬保持疑惑で逮捕されたことをきっかけに、最終的にはまた追放されてしまいます。
しかし、どんなに失敗しても消えないチャレンジ精神を持つショーン・パーカー氏は、現在また新たなチャレンジを行っています。
新しい試みとは?
出典:www.capital.cl
ショーン・パーカー氏は幼い頃から重度のアレルギーと喘息に苦しんできました。
現在は2児の父であり、投資家としても活動する彼は、2014年スタンフォード大学医科大学院 に新しい研究センター「ショーン・パーカー・アレルギー研究所」を設立のために 2,400万ドルの寄付を行いました。
他にもガン治療やマラリア撲滅の活動にも多額の寄付を行っています。
テクノロジー業界とは違い、時間もお金もかかる医療や慈善活動への投資活動は、ショーン・パーカー氏自身にとっても全く未知の領域。
フロンティアを目指す彼は、新たな場所で新たな挑戦を行っているのです。
まとめ
事業の倒産や、会社からの追い出しなど一見七転八倒な人生にも見えるショーン・パーカー氏ですが、彼は一貫して、ものごとをシェアすること、お互いが豊かになるためのプラットフォームも作ることにこだわってきました。
どれだけ屈辱を味わい、失敗しても、何度でも挑戦してやりたいことをやるというその不屈の精神こそが、人々を魅了してやまないショーン・パーカー氏の最大の魅力なのかもしれません。