今回のインタビューは、株式会社I.S.T、阪根勇会長に、「資金を使わない材料開発」や「創業時から大切している理念」についてお話を伺いました。
脱サラして起業
スタートしたときは、もちろんここまで来るとは思ってませんでした。
もともと私はサラリーマンをしていたので、スピンアウトというか。
自分でやろう思ったが、かといってお金があったわけでもなく。
開発をして、その開発技術を売ればなんとか生活できるだろうと思い、細々とスタートした形です。
スタートから工場やオフィスを構えて、という気はまったくありませんでした。
サラリーマン18年やってもらった退職金が180万円、ゴルフ会員権などを合わせて、自己資金は400万円でした。
そこで親やスポンサーに出資をお願いし、結果として資本金2000万円でスタートしました。
分相応の範囲で、お金の範囲でやるというつもりだったので、協力してもらった人には「大切に使わせてもらいます、ありがとうございます」と伝えました。
ものをつくって売るとなると、ものづくりのために相当の費用がかかります。
そこで、その技術のアイデアとそのアイデアが実証できるということさえ確認できれば買ってもらえるので、
ほとんどお金は必要なかったし、資金の心配もあまりしませんでした。
周囲を巻き込み、資金を使わずに材料開発
あるテーマがあり、こういうことをやるということに対して、それでも材料を買わないといけません。
しかし、材料も基本的には材料メーカーに、「この材料を使ってこういうものをつくろうと思うが、こういうことができますよ」というと、
「そんなことできるんですか?じゃ、一度やってみてよ」
となるので、その材料メーカーからサンプルをもらって実験していました。
特に私は複合材料の開発をメインにしていたので、各材料メーカーにそういう話をして、
「そんなことできるんだったら、一度この材料使ってください」
という形で材料を集めるので、ほとんど全部無償です。
それを自分で、小さい設備で加工して、「できました、評価してください」「できましたね、よかったですね」とはなりません。
工業材料の場合、それに対して物性確認をしなくてはいけません。
そのために工業技術センターや大学に持ち込んで、「これを評価してください、データとってください」となります。
研究開発といっても、全部自分がやるのではなく、皆さんの協力でやる中で、わが社の売上があがるのです。
最初の年、材料費はゼロ、人件費も私ともう1名分だったので、当時800~1000万の売上があがりました。
「世の中は助けてくれない」
私がベンチャーを立ち上げたときのひとつの大きな信念は、
「世の中は人を同情したり、人を助けるということはない」
というものです。
皆、利害関係のもとに成立しているので「なんとかお願いします」と頼み込めば、お金を貸してくれることは絶対にあり得ません。
そういう考えでやっていたので、出資してくれた人には返さなければいけないと強く思っていました。
「出資してあげるよ。お前にお金出しても、当然返ってこないよね」と思われても、「いえ、絶対私は返します」というつもりでやってきました。
成長して、銀行にお金を借りるようになっても、銀行は銀行が儲けたいために貸すのであって、
私に同情したり、私を育てたいために貸してくれるわけではない。
銀行が「貸してやるよ」という金額の何分の1を借りる程度しかしていませんでした。
最初からそういう信念でやっていたので、事業が大きくなっても、銀行一行、滋賀銀行としか取引をしていませんでした。
滋賀銀行一行にしたのはなぜかというと、一行で取り引きしていると、私のやっていることの毎日の出入りのお金を、銀行が把握できます。
出入りを見て、「これは駄目だ」と思えば銀行は融資を止めます。
「止める=警告」なので、私としてもこれ以上のことをしては駄目だとわかります。
つまり、銀行が指導者になるわけです。
止められるということは、「この範囲でやめないといけないんだな」「それ以上大きなことはしたら危ないな」だと思ってやってきました。
私にアドバイスをくれるのは銀行でした。自分のできる範囲の中でやっていく、ということです。
私は40歳のときにスタートして、設立時には8人の発起人がいて、その方たちに出資してもらいました。
発起人には出資金の何十倍の金でお返ししました。私としては、最初出資してもらった人との約束はちゃんと守ったと思っています。