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起業の決断

起業の決断

ベガコーポレーション・浮城代表:上場して勝つために選んだゲーム事業への進出と撤退【後編】

今回のインタビューは、株式会社ベガコーポレーション 代表取締役社長 浮城智和さんに「事業の転機」「上場して変わったこと」についてお話を伺いました。

【経歴】

1976年福岡県北九州市生まれ。九州国際大学経済学部卒業。家具の商社で営業経験を積み、独立。2004年 (有) ベガコーポレーション設立。

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事業の転機

2007年から在庫を持たない形式から、あえて在庫を持って売価を下げるという戦略に切り替えて、それによって原価が下がった分、末端売価を大幅に下げることに成功しました。そこがビジネスモデルとしての転機になったと考えています。

今のビジネスモデルの原型が出来上がったのは、29、30歳ぐらいのときです。

上場を意識した時期

会社を作ったときに、意識していなかったわけではありません。

スタートがショッピングモールで家具を販売する事業でしたので、果たしてその事業自体が上場に値する事業モデルなのかとは思いつつも、一定の規模になったときは、そういう検討もしていこう、と思うようになりました。そういう意味では、創業当時から意識はしていたのかもしれません。

本格的に意識するようになったのは、33、34歳、スマートフォンブームが来たときからです。

本格的に10億円の増資を行いまして、シンガポールに法人を作って、その事業を元に今後の成長戦略をひいていこうというところで、30代前半にはIPOを完全に意識していました。

ゲーム業界への進出と撤退

当時はまだスマートフォン自体が日本で普及しておらず、デバイスの違いを見れば、ガラケーからスマートフォンにどう見ても変わっていくであろう、という中で、

ガラケーのゲームからスマートフォンのゲームに時代が変わっていく中で、我々が何かチャンスをつかめないかということで、いろいろ検討しました。

福岡でやった場合、どうしても技術者がそろいません。当時は東京にも、アプリケーションの開発技術者がいませんでした。フェイスブックも、当時は日本国内に100万ユーザーもおらず、そうすると海外で作ったほうがいいなと考えました。

翻訳がしやすい国、英語、中国語圏に強い国、ということでシンガポールを選びました。元々、貿易を通じてシンガポール、東南アジア等はかなり行き来していたので、まったく知らないところにいったわけではなくて、多少の知見がある中で進出をしました。

そこからゲーム事業は最初は順調にいきまして、ダウンロード数も累計で5000万以上の世界のダウンロードを獲得しましたが、直近の本格的なゲーム会社との競争において、我々の競争優位性は何なのか、と考えたときに、1本当たりの製作費も上がってきており、その中で本業であるeコマースにそれだけの予算を突っ込んだほうが勝率は高いということで、最終的に売却に至りました。

上場して変わったこと

今まではどちらかというと未上場企業で、社員のこと、顧客のことだけを考えておけばよかったのですが、上場後は株主の皆さま方に還元すべく会社のあり方も変わってくると思います。

そうするとミッションの一つに、株主価値を高めていくことが追加されるわけですが、これまた違った意味で、確かに上場はしましたけれども、これは一つの通過点でしかないので、今後が我々のスタートになるかと考えています。

視聴者へのメッセージ

19歳のときに会社を作りたいと思い、20代前半では学生中に会社を作れるんじゃないかと思い、遅くとも26歳までには会社ぐらい持ってるだろう、と思っていましたが、

実際には26歳は会社どころか無職でした。履歴書を送っても書類選考アウトで、7回連続送り返されたという経験もあって、ものすごくあせっていました。

落ちるところまで落ちたな、という中で、今、振り返ってみると、20代というのはまだ全然挽回がきく時期で、あせらなくても、しっかり将来を見据えた自分の時間の使い方というものだけをこだわっていれば、いつかそれが報われるときがくると思います。

私は無職でしたが、家では法律の本を読んだり、財務の本を読んだり、起業後に必要であろう知識は、起業前に勉強していましたので、若い皆さま方においても、あせらずじっくり、自分を信じて毎日過ごしていただければ、きっといい将来がやってくると思います。

(インタビュアー:嶋内秀之、撮影者:池田貴之)