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スティーブジョブズの名言スピーチ
スティーブジョブズの名スピーチと言われているのは、2005年にスタンフォード大学での学位授与式での、卒業生に送られたスピーチです。
ガンを宣告され、人生を違う視点から見つめることになった彼の、心に響くスピーチの全文を以下でご紹介します。
About connecting the dots~点と点を繋げることについての名言
出典:https://i.ytimg.com/vi/Mk7AYIqE9Po/hqdefault.jpg
大変光栄なことに、私は本日皆さんと、世界で最も優秀な大学の一つの卒業式に同席しました。
実のところ、私は大学を卒業しておらず、これが私が今まで経験した中で、最も大学卒業に近い経験となります。
本日、私が皆さんに伝えたいのは、私が人生から学んだ3つの話です。
それだけです。大したことはありません。ただの3つの話です。
最初の話のテーマは、点と点を結ぶことです。
私がリード大学を退学したのは、(入学してから)最初の6ヶ月が過ぎてからです。しかし、それから18ヶ月もの間、モグリの学生として大学に居座り、そしてその後本当に大学を退学しました。
ではなぜ私は大学を辞めたのでしょうか。
ことの始まりは、私が生まれるよりも前でした。
私の産みの母は、若く未婚の大学院生だったため、彼女は私を養子に出すことに決めました。
彼女が強くこだわったのは、私を養子にするべき人物は大卒の親であるということでした。そのため準備万端に、産まれるとすぐ私を養子にすることになっていたのは弁護士とその妻だったのです。
しかし例外的に私が生まれた時に、弁護士夫婦が最後の最後に下した判断は、彼らが本当に欲しいのは女の子であるという判断でした。
そのため、私の(育ての)両親は、順番待ちのリストに載っていた人たちだったのですが、(育ての)両親は真夜中に電話を受け取り、(以下の質問に)答えたのです。
「予定外の男の子の赤ちゃんを授かりました。あなたは養子を希望しますか?」
彼ら(育ての両親)の返答は、「もちろん」でした。
私の産みの母が後から知ったことは、私の(育ての)母が大学を決して卒業しておらず、父は高校すら卒業していないということでした。彼女(産みの母)は養子縁組の最終書類に署名することを拒否しました。
彼女が数ヶ月後に折れたのは、私の(育ての)両親が約束した時でした、私を大学に行かせるという約束です。
これが始まりです、私の人生の(始まりです)。
そして17年後、私は本当に大学に入学しました。しかし、世間知らずの私が選んだ大学は、スタンフォード並に高い学費の大学だったので、労働者階級である両親の蓄えのうち全てが私の学費の支払いに使われそうでした。
6ヶ月後、私は大学に価値を見出すことができませんでした。
私が分からずにいたのは、何を自分が人生でやりとげたいのかと言うことであり、どのように大学がその答えを見つけ出すのに役立つのかということです。
それなのに、ここ(大学)に私はいて、使い果たそうとしていたのは私の両親が生涯で蓄えたお金すべてです。
それで私は大学を辞めることを決意し、信じたのは全てが上手くいくということでした。
そういった決断がとても怖かった当時ですが、振り返ってみると、私がこれまでにした最高の決断のうちの一つになっています。
というのも、大学を辞めた途端、興味を持てない必修科目を取るのをやめたのですが、モグリで参加し始めた科目がはるかに面白そうだったからです。
夢のようなことばかりではありませんでした。
私には学生寮の部屋がなかったので、友達の部屋の床で寝ていました。
私がコカコーラの瓶を店に返していたのは、5セントを受け取り、食べ物を買うためです。
そして毎週日曜の夜に7マイル(11キロ弱)歩き街を抜けたのは、ハレークリシュナ寺院で週に一度のご馳走にありつくためです。これはとても大好きでしたね。
そして偶然出会ったもののうちの多くで、好奇心と直感に従ったものは、後になってかけがえのないものだとわかりました。
ここで一例をご紹介しましょう。
リード大学は当時、おそらく国内最高のカリグラフィーの教育を提供していました。
キャンパスの至る所に見られるあらゆるポスターであれ、戸棚一つ一つに貼られたあらゆるラベルであれ、美しい手書きのカリグラフィが施されていました。
私は既に大学を退学していましたし、通常の授業を取る必要もなかったので、私が決意したのはカリグラフィーの授業を取りそれのやり方を身につけるということでした。
私が学んだものは、セリフやサンセリフの書体、いろいろな文字の組み合わせに応じ字間スペースを変えること、何が素晴らしいタイポグラフィーを素晴らしたらしめるのか、といったことです。
それは美しく、歴史があり、芸術的に見れば繊細さが科学では捉えられないほどであり、そして私はそれに魅了されたのです。
これらはどれも人生で何ら実践として役に立ちそうのないものばかりでしたが、その後10年経ち最初のマッキントッシュ・コンピュータを設計することになった時、この時の経験全てが私の中に蘇ってきました。
僕たちはその全てをmacに組み込んました。そしてmacは美しいフォント機能を備えた世界初のコンピュータとなったのです。
もし私が大学であのコースひとつ落第していなかったとしたら、複数書体も字間調整フォントもmacには入っていませんでしたし、windowsはmacの単なるコピーに過ぎなく、そういったパソコンは世界に1台として存在しなかったことになります。
もし私がドロップアウト(退学)していなかったら、あのカリグラフィのクラスにはドロップイン(寄り道)していなかったことになります。
そして、パソコンは現在のような素晴らしいフォントを兼ね備えていなかったのです。
もちろん大学生の私には、先々のことまで読んで点と点を繋げてみることなんて出来ませんでしたが、10年後振り返ってみた時、もの凄くハッキリと見えてきたのです。
もう一度言います。未来に先回りして点と点を繋げて見ることはできません、君たちにできるのは過去を振り返って点と点を繋げることだけなんです。
だからバラバラの点だとしても将来それが何らかのかたちできっと繋がっていくと信じなくてはならないのです。
自分の根性、運命、人生、カルマ…何でもいい、とにかく信じることです。それで全てのことは、間違いなく変わるはずです。
愛と喪失についての名言
愛と喪失についての名言〜About love and loss~
出典:https://www.b-cafe.net/wp-content/uploads/column/stay%20hungry%20stay%20foolish.png
2つ目のお話は、愛と喪失にまつわるお話です。
私は幸運でした。自分が何をしたいのか、人生の早い段階で見つけることができました。
実家の車庫でウォズとアップルを創業し始めたのは、私が20歳の時でした。無我夢中で10年働いた後、アップルはたった二人の会社から従業員4千人以上の従業員を抱える
20億ドル企業になりました。そうして自分たちの最高傑作であるマッキントッシュを発表してたった1年後、私は会社をクビになりました。
自分が始めた会社を首になるなんておかしな話ですが、要するにこういうことでした。アップルが大きくるに伴い会社を動かせる有能な人間を雇いました。
そして最初の1年ほどはうまくいったのです。しかし互いのビジョンにやがて亀裂が生じ始め、最後は仲たがいに終わってしまったのです。
決裂する段階になり取締役会議が彼に味方をしたので、私は30歳にして会社を追放されたということです。
しかも私が会社を追放されたことは当時大分騒がれたので、世の中にはすでに知れ渡っていました。
自分が社会人生命の全てをかけて打ち込んできたものが消えてしまったわけですから、私は完全に打ちひしがれていました。
数ヶ月はどうしたらいいのか本当に分かりませんでした。自分のせいで前世代の起業家たちの実績に傷をつけてしまったようで、私は自分に渡されたバトンを落としてしまった
と感じました。このような最悪の形で全てをひどい状態にしてしまったことを詫びるべく、デイヴィッド・パッカードとボブ・ノイスにも会いました。
私は社会的に脱落者となったことで一時はシリコンヴァレーから逃げ出すことも考えました。
しかし、時間が経つうちに少しずつ気がついてきたのです。私はまだ自分のやったきた仕事が好きだったのです。
アップルでの色々な出来事はその気持ちをほんの少しも変えませんでした。まだ好きだったので、また一からやり直そうと決めたのです。
その時は気が付かなかったのですが、やがてアップルをクビになったことは自分の人生の最良の出来事だった、ということが分かってきました。
成功者であることの重み、それがビギナーであることの軽さに代わったのです。
そして、あらゆる物事に対して以前ほど自信も持てなくなった代わりに、自由になれたことで私はもう一度自分の人生で最もクリエイティブな時代の絶頂期に
足を踏み入れることができたのです。
それに続く5年間のうちに私はNeXTという名前の会社を始め、ピクサーという会社を作り、素晴らしい女性と恋に落ち、後に彼女は私の妻になりました。
ピクサーはやがてコンピュータ・アニメーションによる世界初の映画「トイ・ストーリー」を創りました、そしてそれは今では世界で最も成功しているアニメーション・スタジオとなりました。
思いもしなかったことに、NeXTはアップルに買収され、私はアップルに復帰することになったのです。
NeXTで開発した技術は現在のアップルの中核的なものとなっています。ロレーヌと私は一緒に素晴らしい家庭を築いてきました。
私がアップルをクビになっていなかったらこうした事は何ひとつ起こらなかった、と断言できます。それはひどく苦い薬でしたが、患者にはそれが必要だったんでしょう。
人生の中にはレンガで頭を殴られるようなひどいことも起きるのです。しかし、信念を失ってはいけない。私がここまでやってこれたのは、自分のやっている仕事を愛しているというその気持ちがあったからです。皆さんも自分が好きなことを見つけなければいけません。それは仕事も恋愛も同じことです。皆さんもこれから仕事が人生の大きな割合を占めることですから、自分が本当に心の底から満足を得たいなら、自分が素晴しいと信じる仕事をやる、それしかないのです。
そして素晴らしい仕事をしたいと思うなら、好きなことを仕事にすることです。まだ見つかってないなら探し続ければいいのです。
落ち着かないことです。心の問題と一緒で、それは見つかるとすぐピンとくるものなので、素晴らしい人間関係と同じで、年を重ねるごとに更に良くなっていくものです。
だから探し続けることです。落ち着いてしまってはいけません。
死についての名言
死についての名言〜About death〜
出典:http://entrepreneur-nikki.up.n.seesaa.net/entrepreneur-nikki/image/Steve-Jobs-at-Stanford.jpg?d=a0
3つ目のお話は、死に関するお話です。
私は17歳の時、こんなような言葉を本で読みました。「毎日、これが人生最後の日と思って生きてみなさい。そうすればいつかそれが正しいとわかる日がくるだろう。」
それは強烈な印象を与える言葉でした。そしてそれから33年間私は毎朝鏡を見てこう自分に問い掛けてきました。
「もし今日が自分の人生最後の日だとしたら、今日やる予定のことを私は本当にやりたいことだろうか?」
それに対する答えが“NO”の日が何日も続くと、何かを変える必要があるなと気が付くわけです。
自分が死に直面する状況を想像することは、私がこれまで人生を左右する大きな選択を迫られた時にはいつも、決断を下す最も大きな手掛かりとなってくれました。
ほとんど全ての物事は…外からの期待の全てや、自分のプライドの全て、屈辱や挫折に対する恐怖の全て…こういったものは私たちが死に直面すれば、全て吹き飛んでいくようなものだからです。
そして後に残されるものが本当に大事なことなのです。
自分はいつか死ぬということを思うことは、自分が何か失ってしまうんじゃないかという思考の落とし穴を回避できる最善の防御策です。
みなさんに失うものは何もないのです。自分の心の赴くまま生きてはならない理由などひとつもないのです。
今から1年ほど前、私はガンと診断されました。 朝の7時半にスキャンを受け、私のすい臓にははっきりと腫瘍が映っていました。
私はその時まで、すい臓が何かも知りませんでした。
医師達は私に言いました。これはほぼ確実に治療不可能な種類のガンであり、余命、3ヶ月から6ヶ月だろうと言いました。
主治医は私に、家に戻り仕事を片付けるようアドバイスしました。これは医師の世界では「死に支度をしろ」という言葉だそうです。
それは子どもたちに今後10年の間に言っておきたいことがあれば、この数ヶ月の間に伝えておきなさい、ということです。
それはつまり自分の家族がなるべく心安らかな気持ちで対処できるようしておきなさい、ということです。
それはつまり、さよならを告げる、という意味です。
私はその診断結果を丸1日抱えて過ごしました。
そしてその日の夕方遅くに生体検査を受け、喉から内視鏡を入れ中を診てもらいました。内視鏡は胃を通って腸内に入り、そこから医師達はすい臓に針で穴を開け腫瘍の細胞を採取しました。
私は鎮静剤を投与されていたのではっきりわかりませんでしたが、その場に立ち会った妻から後に聞いた話によると、医師は顕微鏡で私の細胞を見た途端急に泣き出したそうです。
何故なら、私のそれは手術で治すことができる、すい臓癌としては極めて稀な形状の腫瘍だったからだそうです。
こうして私は手術を受け、ありがたいことに今も元気です。
これは私がこれまでで最も死に近づいた経験ということになります。
この先何十年かは、これ以上近い経験はないものと願います。
こうした経験をしたことで、以前の私にとっての有用だが純粋に頭の中の概念に過ぎない死を、今は多少の確信を持って言えます。
誰も死にたいと思っている人なんていません。天国に行きたいと願う人ですら、まさかそこに行くために死にたいとは思いません。
それにも関わらず死は誰もが到着する終着点です。かつて死から逃れられた人は誰一人としていません。それは、そうあるべきなのです。
何故なら、死は生が生んだ唯一無比の、最高の発明だからです。
それは生のチェンジエージェント、つまり、古きものが消え去り新しきものが道筋を作っていく働きのあるものだからです。今この時点で、新しきものと言ったらそれはあなたたちのことです。
しかしいつか遠くない将来、その君たちもだんだん古きものになり消え去る日が来ます。
とてもドラマチックな言い方かもしれないけれど、それが真実なのです。
あなたたちの持つ時間は限られています。自分以外の誰かの人生に自分の時間を費やす時間などありません。
他人の考え方が生んだドグマ(常識や固定概念)という罠に掛かってはいけません。
他人の雑音に自分の内なる声や心、直感を打ち消されないことです。
自分の内なる声、心、直感というのは、あなたたちが本当に望んでいる姿は何か、既に知っているのです。
だからそれ以外のことは全て、二の次で構わないのです。
私が若い頃、”The Whole Earth Catalogue(全地球カタログ)”という素晴らしい出版物があって、同世代の間ではバイブルのようなものになっていました。
それはスチュアート・ブランドという人がここからそれほど遠くないメンローパークで製作したもので、彼の詩的なタッチで仕上げられていました。
1960年代後半のもので、パソコンやデスクトップ印刷がまだない頃ですから、タイプライターとはさみ、ポラロイドカメラで全て作られていました。
それはまるでグーグルのペーパーバック版のようなもので、グーグルの35年前に登場したかのようなものでした。
それは理想的な本で、素晴らしいツールと壮大な概念が溢れ返っているような印刷物でした。
スチュアートと彼のチームはこの”The Whole Earth Catalogue”を何度か発行しましたが、一通り走り切ってしまうと最終号を出しました。それは1970年代半ばで、私はちょうど今のあなたたちと同じ年頃でした。
最終号の裏表紙には、朝早い田舎道の写真が載っていました。それは冒険の好きな人ならヒッチハイクの光景でみたことがあるだろうそんな田舎道の写真です。
写真の下には、「Stay hungry. Stay foolish.」「貪欲であれ、愚直であれ」こんな言葉があったのです。
「Stay hungry.Stay foolish.」それが彼らが最後に残した言葉でした。
それから私は常に自分自身そうありたいと願ってきました。
そして今、卒業して新たな人生を踏み出すあなたたちに、同じことを願います。
Stay hungry. Stay foolish.ご清聴ありがとうございました。
いかがでしたか。
短い人生を終えることとなるスティーブジョブズのスピーチには「残された時間を精一杯、己に素直に生きろ」という強いメッセージが感じられます。
毎日を当たり前ととらえず生きることの大切さを教えてくれます。
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ここからは、スティーブジョブズの名言スピーチ、原文を掲載しています。
Stanford Report, June 14, 2005
'You've got to find what you love,' Jobs says
This is a prepared text of the Commencement address delivered by Steve Jobs, CEO of Apple Computer and of Pixar Animation Studios, on June 12, 2005.
I am honored to be with you today at your commencement from one of the finest universities in the world.Truth be told, I never graduated from college and this is the closest I’ve ever gotten to a college graduation. Today I want to tell you three stories from my life. That's it. No big deal. Just three stories.
The first story is about connecting the dots.
I dropped out of Reed College after the first 6 months, but then stayed around as a drop-in for another 18 months or so before I really quit. So why did I drop out?
It started before I was born. My biological mother was a young, unwed college graduate student, and she decided to put me up for adoption. She felt very strongly that I should be adopted by college graduates, so everything was all set for me to be adopted at birth by a lawyer and his wife, except that when I popped out they decided at the last minute that they really wanted a girl. So my parents, who were on a waiting list, got a call in the middle of the night asking: "We have an unexpected baby boy; do you want him?" They said: "Of course." My biological mother later found out that my mother had never graduated from college and that my father had never graduated from high school. She refused to sign the final adoption papers. She only relented a few months later when my parents promised that I would go to college. This was the start in my life.
And 17 years later I did go to college. But I naively chose a college that was almost as expensive as Stanford, and all of my working-class parents' savings were being spent on my college tuition. After six months, I couldn't see the value in it. I had no idea what I wanted to do with my life and no idea how college was going to help me figure it out. And here I was spending all of the money my parents had saved their entire life. So I decided to drop out and trust that it would all work out OK. It was pretty scary at the time, but looking back it was one of the best decisions I ever made. The minute I dropped out I could stop taking the required classes that didn't interest me, and begin dropping in on the ones that looked interesting.
It wasn't all romantic. I didn't have a dorm room, so I slept on the floor in friends' rooms, I returned coke bottles for the 5¢ deposits to buy food with, and I would walk the 7 miles across town every Sunday night to get one good meal a week at the Hare Krishna temple. I loved it. And much of what I stumbled into by following my curiosity and intuition turned out to be priceless later on. Let me give you one example:
Reed College at that time offered perhaps the best calligraphy instruction in the country. Throughout the campus every poster, every label on every drawer, was beautifully hand calligraphed. Because I had dropped out and didn't have to take the normal classes, I decided to take a calligraphy class to learn how to do this. I learned about serif and san serif typefaces, about varying the amount of space between different letter combinations, about what makes great typography great. It was beautiful, historical, artistically subtle in a way that science can't capture, and I found it fascinating.
None of this had even a hope of any practical application in my life. But ten years later, when we were designing the first Macintosh computer, it all came back to me. And we designed it all into the Mac. It was the first computer with beautiful typography. If I had never dropped in on that single course in college, the Mac would have never had multiple typefaces or proportionally spaced fonts. And since Windows just copied the Mac, it's likely that no personal computer would have them. If I had never dropped out, I would have never dropped in on this calligraphy class, and personal computers might not have the wonderful typography that they do. Of course it was impossible to connect the dots looking forward when I was in college. But it was very, very clear looking backwards ten years later.
Again, you can't connect the dots looking forward; you can only connect them looking backwards. So you have to trust that the dots will somehow connect in your future. You have to trust in something — your gut, destiny, life, karma, whatever. This approach has never let me down, and it has made all the difference in my life.
英文全文 Part2
My second story is about love and loss.
I was lucky — I found what I loved to do early in life. Woz and I started Apple in my parents garage when I was 20. We worked hard, and in 10 years Apple had grown from just the two of us in a garage into a $2 billion company with over 4000 employees. We had just released our finest creation — the Macintosh — a year earlier, and I had just turned 30. And then I got fired. How can you get fired from a company you started? Well, as Apple grew we hired someone who I thought was very talented to run the company with me, and for the first year or so things went well. But then our visions of the future began to diverge and eventually we had a falling out. When we did, our Board of Directors sided with him. So at 30 I was out. And very publicly out. What had been the focus of my entire adult life was gone, and it was devastating.
I really didn't know what to do for a few months. I felt that I had let the previous generation of entrepreneurs down - that I had dropped the baton as it was being passed to me. I met with David Packard and Bob Noyce and tried to apologize for screwing up so badly. I was a very public failure, and I even thought about running away from the valley. But something slowly began to dawn on me — I still loved what I did. The turn of events at Apple had not changed that one bit. I had been rejected, but I was still in love. And so I decided to start over.
I didn't see it then, but it turned out that getting fired from Apple was the best thing that could have ever happened to me. The heaviness of being successful was replaced by the lightness of being a beginner again, less sure about everything. It freed me to enter one of the most creative periods of my life.
During the next five years, I started a company named NeXT, another company named Pixar, and fell in love with an amazing woman who would become my wife. Pixar went on to create the worlds first computer animated feature film, Toy Story, and is now the most successful animation studio in the world. In a remarkable turn of events, Apple bought NeXT, I returned to Apple, and the technology we developed at NeXT is at the heart of Apple's current renaissance. And Laurene and I have a wonderful family together.
I'm pretty sure none of this would have happened if I hadn't been fired from Apple. It was awful tasting medicine, but I guess the patient needed it. Sometimes life hits you in the head with a brick. Don't lose faith. I'm convinced that the only thing that kept me going was that I loved what I did. You've got to find what you love. And that is as true for your work as it is for your lovers. Your work is going to fill a large part of your life, and the only way to be truly satisfied is to do what you believe is great work. And the only way to do great work is to love what you do. If you haven't found it yet, keep looking. Don't settle. As with all matters of the heart, you'll know when you find it. And, like any great relationship, it just gets better and better as the years roll on. So keep looking until you find it. Don't settle.
英文全文 Part3
My third story is about death.
When I was 17, I read a quote that went something like: "If you live each day as if it was your last, someday you'll most certainly be right." It made an impression on me, and since then, for the past 33 years, I have looked in the mirror every morning and asked myself: "If today were the last day of my life, would I want to do what I am about to do today?" And whenever the answer has been "No" for too many days in a row, I know I need to change something.
Remembering that I'll be dead soon is the most important tool I've ever encountered to help me make the big choices in life. Because almost everything — all external expectations, all pride, all fear of embarrassment or failure - these things just fall away in the face of death, leaving only what is truly important. Remembering that you are going to die is the best way I know to avoid the trap of thinking you have something to lose. You are already naked. There is no reason not to follow your heart.
About a year ago I was diagnosed with cancer. I had a scan at 7:30 in the morning, and it clearly showed a tumor on my pancreas. I didn't even know what a pancreas was. The doctors told me this was almost certainly a type of cancer that is incurable, and that I should expect to live no longer than three to six months. My doctor advised me to go home and get my affairs in order, which is doctor's code for prepare to die. It means to try to tell your kids everything you thought you'd have the next 10 years to tell them in just a few months. It means to make sure everything is buttoned up so that it will be as easy as possible for your family. It means to say your goodbyes.
I lived with that diagnosis all day. Later that evening I had a biopsy, where they stuck an endoscope down my throat, through my stomach and into my intestines, put a needle into my pancreas and got a few cells from the tumor. I was sedated, but my wife, who was there, told me that when they viewed the cells under a microscope the doctors started crying because it turned out to be a very rare form of pancreatic cancer that is curable with surgery. I had the surgery and I'm fine now.
This was the closest I've been to facing death, and I hope it's the closest I get for a few more decades. Having lived through it, I can now say this to you with a bit more certainty than when death was a useful but purely intellectual concept:
No one wants to die. Even people who want to go to heaven don't want to die to get there. And yet death is the destination we all share. No one has ever escaped it. And that is as it should be, because Death is very likely the single best invention of Life. It is Life's change agent. It clears out the old to make way for the new. Right now the new is you, but someday not too long from now, you will gradually become the old and be cleared away. Sorry to be so dramatic, but it is quite true.
Your time is limited, so don't waste it living someone else's life. Don't be trapped by dogma — which is living with the results of other people's thinking. Don't let the noise of others' opinions drown out your own inner voice. And most important, have the courage to follow your heart and intuition. They somehow already know what you truly want to become. Everything else is secondary.
When I was young, there was an amazing publication called The Whole Earth Catalog, which was one of the bibles of my generation. It was created by a fellow named Stewart Brand not far from here in Menlo Park, and he brought it to life with his poetic touch. This was in the late 1960's, before personal computers and desktop publishing, so it was all made with typewriters, scissors, and polaroid cameras. It was sort of like Google in paperback form, 35 years before Google came along: it was idealistic, and overflowing with neat tools and great notions.
Stewart and his team put out several issues of The Whole Earth Catalog, and then when it had run its course, they put out a final issue. It was the mid-1970s, and I was your age. On the back cover of their final issue was a photograph of an early morning country road, the kind you might find yourself hitchhiking on if you were so adventurous. Beneath it were the words: "Stay Hungry. Stay Foolish." It was their farewell message as they signed off. Stay Hungry. Stay Foolish. And I have always wished that for myself. And now, as you graduate to begin anew, I wish that for you.
Stay Hungry. Stay Foolish.
Thank you all very much.