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ソフトバンク創業者孫正義に見る、飽くなき野望

ソフトバンクグループの創業者である孫正義氏は、どのように起業に至ったのでしょうか。

 

幼少期の貧乏時代

1957年、孫正義氏は佐賀県鳥栖市で生まれました。線路脇の空き地のトタン屋根のボロ家で過ごした幼少期は、両親が共働きだったために韓国籍の祖母と過ごすことがほとんどでした。わんぱくなガキ大将だった孫氏は、生徒会長を小中学校で務める一方で、在日韓国人3世としての民族差別を受けることも少なくありませんでした。

 

そんな孫氏が15歳のときに読んだ司馬遼太郎の小説『竜馬がゆく』は、その後の人生に大きな影響を与えます。「一度しかない人生を世のため人のために、引きちぎれるほど頑張って何か事を成さなくてはならない。志高く生きなければ」と考えて、高校をわずか1年生の1学期で中退し、渡米することを決意するのです。この時には既に、将来的には起業して家族を支える存在になろうと心に決めていました。

 

死に物狂いの高校時代

アメリカ・サンフランシスコの高校2年生に編入した孫正義氏は、ほんの3週間で高校3年分の教科書を読破しました。実は渡米直前に、父が入院してしまったのです。周りからは、留学について強く止められましたが、この先の何十年という人生のことを考えたら行動せずにはいられませんでした。そんな状況だったので、学費を最小限に留め、飛び級するために死に物狂いで勉強したそうです。すぐに大学入学の検定試験の受験を学校に申し出ました。
この検定試験のとき、あまりにも問題数が多くて時間が足りないと感じた孫氏は、その試験官に辞書の使用と時間の延長を交渉し、なんとその要求を認めさせ、見事合格します。

 

資金作りは発明で

19歳の時に事業家になることを決意した孫正義氏は、人生50年計画を企てます。「20代で名乗りを上げ、30代で軍資金を最低1000億円貯め、40代でひと勝負かける。50代で完成させ、60代で継承させる」というものでした。その計画を実施するには、まず開業のための資金が必要です。発明で儲けようと考えた孫氏は、1日ひとつ、1年間発明し続けることを自分に課しました。結果、考案された「音声機能付き多言語翻訳機」は、有名大学教授の協力のもとシャープへの売り込みに成功し、約1億円を手にすることとなります。

 

この資金を元手に1979年、アメリカでソフトウェア開発会社「Unison World」を設立しました。1980年に大学を卒業した孫氏は福岡へ戻り、1年半悩みぬいた結果、その頃の日本にはまだなかったパソコンソフトの卸事業を始めるため、「ソフトバンク」の前身となる「ユニソン・ワールド」を、今度は日本で起業します。

 

東証一部上場までの道のり

資本金2000万円、社員2人でスタートをきった「ユニソン・ワールド」で、孫氏は「創業5年で100億円、10年後には500億円にする」と熱く語りますが、なかなかうまく行きませんでした。孫氏を支えた人たちの一人が、大学時代の孫氏の発明である「翻訳機」を買ってくれたシャープの専務・佐々木氏でした。創業間もない状況で一度は銀行から融資を断られましたが、佐々木氏が個人資産を担保にしてくれたため、資金一億円を調達できたのです。

 

事業を飛躍的に拡大し、1990年には「ソフトバンク」へ社名を変更しました。この年を「グローバル元年」と名付け、海外企業との提携や積極的なM&A、プロバイダ事業の開始、株の取得を積極的に行い、創業から18年目となる1998年には、遂に東証一部上場を行いました。

 

いまや日本を代表する実業家の一人となった孫氏ですが、自分の可能性を生かすには高い志が必要であると今もなお熱く語ります。起業家としての情熱が孫氏を今日も突き動かしているのでしょう。