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【動画紹介】本田宗一郎の”夢の始まり”

世界の企業、ホンダの創設者・本田 宗一郎。ご存知の通り、ホンダは日本大手の輸送機器及び機械工業メーカーであり、二輪車では、販売台数、売上規模ともに世界首位となっています。

今回は、本田技研工業株式会社が公式で公開しているコミック動画「Honda原点コミックVol.1「夢の始まり」」をご紹介します。

この動画は、「ホンダ」の始まりにスポットがあてたもので、二輪車が作られるまでや2代目社長となる河島喜好との出会い、本田宗一郎がいかに熱い男かがわかる動画となっています。

世界一の二輪車メーカー「ホンダ」のはじまり

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1945年、日本は太平洋戦争の度重なる空襲で焼け野原になりました。その1年後、1946年10月に本田宗一郎は浜松市山下町に本田技術研究所を作り、動き始めていました。

その当時の日本では繊維業界が成長していたため、宗一郎は織機などの開発を始めましたが、資金不足で行き詰ってしまいました。

そんなある日、「軍の倉庫に、たくさんの無線機の発電用エンジンが転がっている」という話を耳にした宗一郎は、ただ漠然と、「使い道さえ考えれば、商売になるのではないか」と考えていました。しかし、その肝心な使い道が思いつきませんでした。

そう思っていた時に、宗一郎の近くを通った1台の自転車。それを目にした宗一郎の頭にふとよぎったのは、妻のさちが毎朝大変な思いをして自転車をこいで出かけていく姿でした。この時、「自転車にエンジンを取り付けて、オートバイにしてしまえばいいのではないか」と思いつきました。

これが世界一の二輪車メーカー「ホンダ」の始まりでした。

最初の作品の誕生

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それから宗一郎は職人を呼び、彼の力もあって、最初の作品である「補助エンジン付き自転車」が誕生しました。

「これなら売れる!」そう確信していた宗一郎は、さっそく従業員を10名ほど雇い入れて「補助エンジン付き自転車」の製作に精を出します。そのペースは、1日1台でした。

しかし、燃料の松根油が粗悪だったこともあり、この頃のエンジンは厄介な代物でした。まずはエンジンを火であたためて、30回以上ペダルを踏まないとエンジンは始動しませんでした

それでも、人は新しい交通手段に飢えていたということもあり、「補助エンジン付き自転車」はよく売れたといいます。

のちの2代目社長・河島喜好との出会い

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そんなある日、のちに2代目社長となる河島喜好が宗一郎の元を訪れます。

高等学校(現在でいう大学)を卒業していた河島に払えるほど給料は高くありませんでいしたが、「給料は低くても、補助エンジン付き自転車を作りたい」という強い思いに揺さぶられ、宗一郎は翌日から河島を雇い入れることにします。

そして、「補助エンジン付き自転車」ができてから半年後、テストドライブを行いました。午前と午後に分けて行われたテストドライブでしたが、休憩中にガソリンの補充をしなかったために、午後に河島が運転する自転車が止まってしまうというハプニングが発生します。

「残りのガソリンでどれだけ走られるかを知ることが重要な目的だったにもかかわらず、なぜ補充をしなかったのか」

怒号を飛ばしながら、涙を流しながら問いかける宗一郎を目にした河島は「この人はいつでも真剣勝負をしているのだ」と実感し、胸が熱くなりました。

新しいエンジンを設計、始動

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そして、最初の「補助エンジン付き自転車」ができてから1年後には500台ほど仕入れた無線用エンジンがなくなってしまったため、宗一郎はいよいよエンジン設計に乗り出します。

初めて作ったエンジンは奇妙な形をしており、従来のサイクルエンジンよりも廃棄を良くする狙いがありました。「エントツ式エンジン」と呼ばれたそのエンジンは1947年の7月に完成しましたが、格好が悪かったためこれを元に新しいエンジンを設計しました。それがA型エンジンでした。

1948年10月、浜松開催されたオートバイレースにはホンダのバイクも出場しましたが、なかなか勝てませんでした。その時、宗一郎は自らドライバーとしての出場を願い出てレースを走ったというほどの、負けず嫌いな性格だったそうです。

まとめ

これらはまだ「ホンダ」が町工場時代だった時の話です。

工場も技術も決して一流とは言えませんでしたが、オートバイレースの話にもあったように、負けず嫌いの宗一郎はつねに日本一でなければ気が済まない性分だったといいます。

動画ではこれ以外にも、宗一郎の人柄がわかるエピソードが織り交ぜられています。

これから起業を志している方は、世界に通用する会社が生まれた背景を知ることで、少しでも何かの参考にしてもらえればと思います。

 

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株式会社アントレプレナーファクトリー

Rina Takada

神戸大学経営学部卒業。SEOを中心に、メディアの改善に挑む。現在は東京に移り、LINE LIVEにおいて新たな挑戦を行う。

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