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起業の決断

起業の決断

AIVICK・矢津田智子氏:ITと食のシナジーを目指す、元スポーツ少女の起業ストーリー【前編】

今回のインタビューでは、株式会社AIVICK代表取締役社長・矢津田智子さんに「生まれ育った環境」「起業のきっかけ」「創業時の苦労」などについてお話を伺いました。

【経歴】
◆2005年4月:株式会社AIVICKを創業。
業務管理システム、WEBシステムソフトウェア受託開発を行う。
ディアコンテンツ制作などが得意なシステム会社の代表取締役として経営全般・営業・マーケティングを担当。
◆2009年11月:E-EN株式会社を創業
AIVICKの子会社として横浜に設立した制御組込系派遣会社。
◆2012年11月:株式会社Smileyを創業
食を通してヘルスマネジメントを推進する次世代ヘルスケアサービス。

生まれ育った環境

福岡の筑豊という、田舎のほうの出身です。働くのが大好きな両親だったので、おばあちゃんのところに預けられていて、そこにはいとこも一緒に預けられて育った幼少時代でした。私が一番上で、下は赤ちゃんなので、おむつ替えから、哺乳瓶でミルクあげたり、そんなことをやっていた時代がありました。

学生時代に熱中したこと

すごく慕っていたコーチとの出会いというのは、おばあちゃんが連れて行ってくれた水泳教室で始まります。小学校3年生のときにそこで出会ったコーチたちにすごく影響を受けました。その中の一人の片山コーチから、小学校卒業して中学校行くときに、「お前、高校入ったら、俺、高校で水泳のコーチやるから、ぜひおいで」と言われたのですが、それがすごくうれしくて「絶対行く」と思いました。

「そこへ行くまでに、何しておいたらいい?」と聞いたら、「中学2年生になるし、女性やから筋肉トレーニングをやっておいたほうがいい」と言われたので、いろいろ探しました。筋トレの本とか、ジャンプの後ろに付いているバーベルとダンベルとベンチ、3万9800円でしたが、あれを、父親が帰ってきたときに、「お父さん、見て。誕生日プレゼントで買ってほしいねんけど」と言っていました。

週3回、一日あいだをおいて、筋肉を休めることをしたほうがいいとか、そういうことを、その時代から誰から教わるわけでもなく、自分でやり始めて、体づくりをして、高校に入りました。

高校時代の水泳部で学んだこと

高校では、「もう勉強ええわ、水泳一本でやろう」というのを心に決めて、絶対インターハイと国体に出場すること、そして「日本でもランキングに入るようになるんだ」ということを目標に朝は6時から、夕方は2部練習、一日3部練の練習をしました。念願叶って、インターハイ、国体と出させていただきました。みんなに本当に応援してもらいました。

ただ、そのときに分かったことが1つあります。それは練習への心構えです。「何のためにこの練習をするのか」。そのときの目標はこれだ、という小さな目標を立て始めました。すると、練習がすごく楽しくなってきました。それをすべてチェックして、全部リストに残すようにして、あとで振り返られるようにしました。そうすると、次の年の6月には、インターハイの標準タイムを切りました。大きな転換というのが、高校のときにありました。

高校を卒業して大学へ

もう成績は最悪です。ある先生からは、「お前はもう、進学せずに、その肉体を使って女子プロレスラーになれ、女子プロを勧める」と言われました。そこから2浪して、大学に入りました。大学では、とりあえずバイトに明け暮れました。月に20万~30万稼いで、遊び倒す学生時代でした。

とりあえず大学卒業することが目標になってしまっていました。ただ、就職していく友達たちを見て、私も将来何がしたいんだろう、ということを少し考え始めた時期でもありました。一度、助産婦になろうとして、大学卒業して3年間、横浜市立大学の看護学部を受験しました。結局、その3年間で達成することができませんでした。今まで、目標を掲げて、そこに一直線に行けば達成できるということを知っていたのに、自分一人だけで目標に向かっていくというのがとても難しいということ、自己コントロールというのは、本当に難しいということがわかりました。

目標設定したとしても、支えてくれる人たちとか、一緒にやる仲間がいないときの面白くなさ、達成できない部分というのがあると、そのとき思いました。3年と決めていたので、やめました。

本当に自分が何がしたいのかをもう一度振り返って、繰り返し同じことをやるのがとても苦手なので、どちらかというと、新しいことを勉強しながら、新しいことにチャレンジしていけるというような職業だなと思い、最終的にはITの世界を選んで就職活動しました。

システムエンジニアとしてのキャリア

そこはベンチャー企業で、私と社長を入れて、4人の会社でした。いろんなことをさせてもらって、Macの開発も、Windowsのソフトの開発も、すごく細かいことも、そして難しいことをわかりやすく教えてもらいました。そこで私の基盤、開発できる基盤ができました。

起業のきっかけ

東京に出たあとですが、仕事が楽しいから没頭していました。すると体を壊してしまいました。仕事に没頭していたのに、没頭するものに没頭できなくなって、健康は失ってしまうし、というのが一気にきてしまったので、「何のために生きてるのかな」と思うようになりました。

大手のSIで働かせてもらっていましたが、受託開発のお仕事をさせていただきながらも、何のために今ここでこういうお仕事をしてるのかを、少し見るようになりました。そのときに、社長は3カ月ごとに変わるは、方針はその都度変わるは、しまいには全部合併して、その会社を○○という会社に売ってしまうという話が、社内で出てきました。「なんか違うよな」と思って、そのとき一緒にやってた仲間に、「自分たちで思うようなもの作りができる会社しようよ」と声をかけました。ただそれだけで会社を作ってしまいました。

創業時の苦労

起業するとき、私は病院の治療代にお金を使ってたので、20万円ぐらいしかありませんでした。20万円でどうやって起業するんだ、ということで、周りの親戚一同に、「すごい会社したいし、お金貸して」と言って回りました。

「そんなもん、貸せるわけないやろ」と簡単に言われて、玉砕しました。何人言っても玉砕でした。血縁ってさびしいよな、と思いました。
それから、先輩や後輩や友人に声かけました。水泳部の先輩や友達が、「あんたがそれだけ言うなら、出すよ」と言ってくれました。とてもありがたくて、絶対失敗できないと思った瞬間です。そこからその資金をもとに、融資を受けてAIVICKがスタートしました。

何のための起業か、というところをよく考える機会を最初にとっておけばよかった、と思います。そして、資金調達のいろんな方法を学んでおくべきでした。もちろん貸していただくこともありますが、その他にも方法はありますから、そこを先に学んでおいたらよかったな、という思いはあります。